安心院観光協会ではご希望の方に「安心院鏝絵ガイド」を実施しています。お気軽にお申込み下さい。お申込みは観光協会まで・・・・。  
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安心院の鏝絵

○ 鏝絵が始まったのはいつ頃ですか
BC210年で、それまでは、すだれなどで壁がなかったのに、壁を塗ることが「免許制」になって始まった。戦国時代の築城ブームで草庵茶室で造られた。
武士の時代になって城ができだしてから、免許制が改正され家の中にも壁ができだした。漆喰紅工は江戸時代から防火対策として幕府が奨励した。塗り籠め造りの建物が庶民に評価された。
土の中に藁を入れるのは、燕が巣を作るとき藁を入れているのを見て、壁にも藁を入れるようになったとも言われているが定かではない。

○ 鏝絵とは何ですか
鏝絵は、左官が壁を塗る鏝で絵を描いたもので、漆喰装飾の一技法で、古くは高松古墳、法隆寺の金堂の壁画にあり歴史は古い。また天平年間の立体塑にも見られる。
木で心柱を作り、その外側に荒土や白土にすさ糊を混ぜた材料で作るのが鏝絵の源流。
漆喰は、貝殻と木炭を重ねて焼いた灰で作る。

○ 鏝絵の色はどうして出すか
色は、顔料として土や岩を砕いたり、貝殻を焼いて色を出したり、黒はかまどのススまつやロウを燃やしたススであったりといりろ工夫がみられた。当時としては6色しかなかった。詳しく言えば、次の通りである。
赤→紅べんがら、インドベンガル地方の土の色
朱色→丹(に、たん)、赤土 イオウと水銀の化合した赤土 オレンジ色の日本顔料
青色→キンベル、外国製の酸化コバルト、キングオブブルー
浅黄色→キンベルに漆喰を増量して混ぜる 緑がかった薄いあい色
黄色→黄土
黒、ねずみ色→灰墨、松煙 スス

○ 鏝絵は100年経ってもなぜ色が落ちないのですか
下から上までずっと同じ色で塗っているから、風雨ではげても下の色が出るから消えない。

○ 全国にどれだけの鏝絵があるのですか
全国で約3000カ所、大分県で約1000カ所、安心院では約100カ所に点在する。そのうち、見る事ができるのは、大分県で約600カ所、安心院では約60カ所である。後は崩落したり、痛んでしまったりしている。れる

○ なぜ安心院に鏝絵が多いのですか
まず、いい左官職人が多くいたことがあげられる。安心院では、長野鐵蔵、山上重太郎、佐藤本太郎の作品が多く見られる。中でも、長野鐵蔵は14人の弟子をかかえ、安心院町龍王に墓も残っている。その墓に14人の弟子の名も刻まれている。
次に、漆喰が手に入りやすいことがあげられる。隣の宇佐市長洲は、遠浅になっているので貝多い。貝殻を木炭と交互に重ねて焼いた灰から漆喰を製造した。
3つ目の理由は、比較的生活が裕福な家庭が多かったことである。
鏝絵は、施主が左官に願いを伝えて依頼する場合と左官が、長い間お世話になったお礼に造る場合がある。

○ どんなところに鏝絵を造るのですか
戸袋や切り妻の下に多い。

○ 安心院ではどこの鏝絵をお薦めですか
30から40分程度の時間では、下毛、折敷田に集中する6カ所10個の鏝絵通りです。予約があればボランティアガイドがご案内します。60分あれば、駐在所、安心院小学校、役場内、文化会館内の鏝絵もご案内するできます。
さらに車で4分も走れば、龍王地区に古庄氏宅の「朝顔」、大江氏宅の「鷲」、細川氏宅の「蓮の華」など4カ所が集中した所もあります。

○ 鏝絵通りのそれぞれのポイントを何ですか
5番の佐藤正彦氏宅「三番叟」は、猿の三番叟でなく鯛の三番叟であるところです。猿を踊らせるのではなく烏帽子被った鯛を踊らせている。長野鐵蔵の作で、ユーモラス、ユニークな発想の持ち主であったことを伺わせる作品である。鯛を踊らせる、烏帽子を被った鯛は全国でここしかないと思われる。
3番の賀来信子氏宅「唐獅子(ライオン)と竹」。当時の左官のライオンを見たことがなかったのか、虎のようにも猫のようにkも見える。青い色は笹であるが、当時は緑色が出なかったことも分かる。高吉作とあり、姓は分からない。
1番の重松忠一氏宅は4つも残っている。一軒で4つもあるのはここだけで、いずれも長野鐵蔵、明治17年の作で120年を経た現在でも、色も形もほぼ完璧に残っている。昔の左官の腕に感心させられる。
「山」は豊後富士で、由布山が安心院から見るとこのように、富士山に見える。
「龍」 目が光ってるのは、ガラス玉を入れ銀箔が入っているからである。あの高い位置に鏝だけでこれだけの作品を造る左官職人の心意気を感じる。
「三階松」 正式には「三つ重ね松」で重松家の家紋である。
「虎」 股の所が少し崩落しているが、鏝絵は下から塗り上げていったことが証明される部分でもある。
付け加えると、重松家は庄屋をしていていて、大工を京都に修行に出し宮作りを勉強させて、この3階建ての家を造ったのである。前にある懸屋(弟で造り酒屋)の暖簾は、正徳元年(1715年)創業と書かれているが、江戸中期で6代将軍の時で、共に安心院の金持ちであった。

○ 他にどこの鏝絵がお薦めですか
下毛の石川弘喜氏宅(番外)、飯田の石川豊氏宅(18 龍)、丸田の小野正雄氏宅(33 日の丸 山上重太郎作)、竜王の古荘宅子(10 朝顔)大江秋子氏宅(11 鷲)細川法香氏宅(12 蓮の花)は、いずれも長野鐵蔵作、舟板の白佐春海氏宅(43 恵比寿)などがある。
安心院には登録されている家は50軒で鏝絵は約60個、未登録もあるし、最近作成されたものもあるので、せめて一日かけても回ると満足いただけるかと思われます。 

○ 伊豆の長八が鏝絵を始めたのはなぜですか
彼は日本が勉強していた。そこで拾い白壁に鏝絵を描いた。また明治10年の勧業博覧会み初めて出品して全国に広がり、伝わっていった。

○ なぜ長野鐵蔵が鏝絵を始めたのですか
伊豆の長八に日出町の青柳鯉市が習う→杵築→長洲→安心院・玖珠と伝わったと思われる


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