室町時代のことですから、今からおよそ六百年も昔の話ですが、山の口から龍泉寺へ上がってくる途中に、塔の原という地区がありました。
 その頃、塔の原に十二も子房を抱えた、安楽寺という天台宗のお寺がありました。たぶん塔の原(今の堂の原)という呼び名も、三重の塔をはじめ、多くの塔堂が立ち並んでいた所なので、そういう地名ができたのでしょう。
 その安楽寺の開祖は、源平合戦で負けた平氏の一部が、柳が浦から上陸して、このあたりに安住の地を求めて、この寺を建立したのだそうです。
 その源平時代から、この物語の起きた室町時代は、すでに二百五十年ばかり経っていたの
ですが寺は平氏の夢を残して、美しく栄えていたそうです。その頃の安楽寺の当主恵慶和尚は、でっぷり太って円満な人であり、村人の間に徳望の高い方でした。
 寺では、毎年のならわしになっている、三月朔日の今日開祖の法要が、賑やかに行われていました。露天商人の商う甘から餅や、はるばる豊後の海辺から持って来た塩漬けの魚などが村人の興味をあおっている中で、今日はまた特別に、この地区の人達が遠く祖先を偲ぶために、昔の平氏の風俗を模して行う稚児行列が、行われることになっていて、人々はもう先程から、胸をわくわくさせて待っているのでした。
 やがて待望の行列は、一つの子房を通って内陣へと進んできました。天冠のキラキラ光る稚児たちの先頭を歩いて妙は、今年十五歳、稚児行列へ出るのもこれが最後で、来年からはもうその稚児姿は見られないであろうと、人々が噂して惜しがるほど美しい少女でした。
 妙は母と二人で、寺の雑用などして、細々と暮らしていましたが、妙の父親は安楽寺の恵慶和尚であろうと、だれいうとなく言いふらされておりました。謹厳な和尚に、そんなことがあるはずがないとは思いながらも、人々はいつの間にか、そう信じ込んでしまっておりました。
 可愛らしく美しい稚児行列が、人々の感激をのせて掾を廻って本堂正面にかかると、初々しい平氏の上臈に扮して、先頭を歩む妙の顔を、廻り掾を取り囲む群衆の間から、喰い入るように見つめている若者がいました。
 熱っぽく、切なげな瞳をした、この若者は潜吉安楽寺出入り口の石工、淡心の伜で、十九歳のがっちりした若者でありました。妙を見初めてからの潜吉の心は、豊かに躍っていましたが、彼は、その妙に、鳳寿丸という相愛の僧侶がいるのに、気が付かなかったのです。
 しばらくして、妙の恋人が鳳寿丸であることを悟った潜吉の失望、驚き、怒りは大変なもので、はたの見る目もおかしいほどでした。
 かなわぬ恋となれば、尚更に妙が慕わしく、鳳寿丸の、平家の公達のような美しい顔がのろわしく、遂には僧侶の女人禁制をたてに、妙を諦めるように迫ったりなどしました。
 鳳寿丸にしてみれば、女人戒を犯す仏罰は恐ろしくとも、妙の面影は一層忘れ難いものになるばかりでした。
 そうした日が続いたある宵のこと、潜吉が石材の切り出しの仕事を終わって家路につき、福貴野村の高台を滝道にさしかかった際、ふと前方を歩いている、仲のよさそうな二つの人影が、妙と鳳寿丸であるのを発見しました。
 しばらくは、狂い立ちそうな心を押えていた潜吉も、どうにもならぬものを見せつけられたような気がして、分別も分からなくなったのでしょう。いきなり、持っていた仕事用の石斧をふるって、二人に襲いかかりました。不意をつかれて、二人は一散に横道の杉小立の中に逃げ込んだのですが、妙も鳳寿丸も、狂い立つ潜吉の斧をあしらいかねて、もう最期だと観念しました。
 その時、あまりにも気負い立った潜吉の心は、薄暗い足下に気を配る暇もなかったのでしょう。
 朽木につまずいて、ばったり倒れました。その朽木に、潜吉の手から投げ出された斧を、どう拾ったのか、その斧を振り上げて、鳳寿丸は夢中になって、今度は潜吉に斬りつけたらしいのです。
 斬りつける鳳寿丸、必死に防ぐ潜吉、止めようとする妙、薄暗い杉小立の中で、それは全く凄惨な地獄絵だったでしょう。
 潜吉も傷つき、鳳寿丸も傷つき、妙も精根尽きたと思うころ、鳳寿丸が最後の力をふりしぼって振りかぶった斧の刃は、狂いが狙ったのでしょうか、止めようと必死に取りすがった妙の、肩先に深く喰い入ってしまいました。
 たまげる妙の叫びに、しばらくは呆然としていた鳳寿丸と潜吉は、目の前に、愛する物の傷つき倒れているのを見ては、相争う心も消え失せて、力を合わせて、妙をいたわりながら山を下りていきました。
 しかし、次の朝、鳳寿丸の姿は村のどこにも見えなくなり、大騒ぎした村人達によって、やっと龍泉寺裏の滝壷の岩角に、打ち砕かれているのが発見されました。
 女人戒を犯し、その上、愛するものを刃の下に斬った自分の罪を悔い、仏罰を恐れて、彼は五百間の岩頭から、滝壷へ身を投げたのでしょう。
 砂の傷は、幸い死ぬほどのこともなく、次第に治っていきましたが、日が経つにつれて、自分の胎内に鳳寿丸の形見が宿っているのに気が付くと、自分ゆえに死んでいった彼への追慕やみがたく、遂に、ある朝、鳳寿丸が身を投げたのと同じ滝口から、滝壷へ身を滅ぼしました。
 自分がひたむきに愛し求めた者は得られず、反って、自分ゆえに三つの尊い生命を失って しまったことに気のついた潜吉は、一時は全く虚脱したようになっていましたが、ある日、村人の一人は雨に勢いを増して、ごうごうと地鳴りして落ちる滝の、突き出した岩角の老松に、細紐を結わえて、体をしっかりとくくり、滝水を真っ二つに分けている中ほどの岩壁にぶら下がって、目もくらみ、体もなえる滝しぶきの中で、何やら懸命に彫っているらしい潜吉の姿を見出しました。夜になればどこに潜むのか、父の淡心の家には帰って来なかったが、朝はどのように早くとも、しぶきを浴びて、岩壁にぶら下がって、彫り続けているのでした。叫べども声は届かず、当たり前の心構えでは、村人たちは滝の上からのぞき込むこともできず、みんなは、ただよりよりに評議しているだけでした。
 拝み台から見て、みんなの目には定かにはわからなかったが、潜吉の彫っているのは、たぶん、鳳寿丸に対する、呪いの文字であろうと言い、いや、あれはたぶん二人の供養のために、観音様か、阿弥陀様のお姿を彫っているのであろう言い、噂はまちまちながら、彼の身の上を心配していることには違いありませんでした。
四日たち、五日たつうちに、潜吉の姿にだんだん疲れがみえてきて、今にも、滝しぶきに巻き込まれそうになってきました。
 村人は評議一決、あすは岸壁を細綱で降りて、潜吉を助け出さねばならぬと、七日目の朝、村人達が拝み台に出てみると、綱は松の根方より岸壁に垂れ下がったまま、しぶきに塗れているだけで潜吉の姿は、どこにも見当たりませんでした。彫りかけた物も出来上がっているのやら、いないのやら、拝み台からではただ石のみの跡が、白々と見えるだけのものでした。
 それから一日たってみても、更に二日、三日待ってみても、もう潜吉の姿はそこには現れず、また、滝壷にも死体らしいものは浮いてこなかったのです。
 しばらくした、ある大雨の降った翌日の朝、潜吉の父淡心と妙の母の二人は、諦められぬ心から拝み台へ出て、ぼんやりと滝の落ちるさまを眺めていると、霧の立ちこめた、滝の落ち口のあたりに両岸の松の木よりも大きく、朝日の光を虹の輪に受けて、黒々と浮き出して見える、神々しい二体の仏様の姿らしいものを見たのです。
物の怪かとも思ってみたが、幽翠な森林を背景に、虹の光は、たしかに、気高い二体の観音様のお姿に拝めたのです。
 あまりのことに、もったいなく、二人は拝みひれ伏していましたが、ややしばらくして、恐る恐る顔を上げて見たときは、もうその仏のお姿も、美しい虹の光景も消え失せていました。
 がっかりしたような気持ちで、淡心が何げなくしわぶく滝壷に目を移したき、再び彼は、それこそ魂尻の消し飛ぶようなものを見ました。
 落水のために起こる風の具合で、しぶきがすうっと引いたときの滝壷の向こうの隅に、何やら異様なものが見える。妙の母をつついて二人でよく見定めると、大きい枝の分かれた角らしいものが二本見える。怒りをふくんだ目、青苔の生えたような首、ちらちらと波の間に、遠く胴体のようなものが見える。
 『龍だ。蛇だ。潜吉が龍になったんだ。』
 『潜吉が龍になって、彫り上げた鳳寿丸と妙の観音像の発現を喜んで、滝壺で遊んでいるのだ。』
 『そうだ。それに違いない。いや、きっとそうだ。』と、驚きに腰を抜かしながらも、二人はとっさにそう思い込んでしまいました。
 龍泉寺の滝には、霧の深い朝は夫婦観音が現れる。その時は、きっと滝壺に龍が泳いでいるという噂が、それからそれへと、村から村へと広がっていきました。
 潜吉が龍になったと噂されてから、四十年ばかり過ぎたある年、この福貴野村に、ひとりの六十歳になろうかと思われる、旅の僧が訪れてきました。初めのうちは、滝にこもるのか滝壺から四・五十丁下流に庵をむすんで住み、時々村に出ては托鉢をしていましたが、日が経つにつれて、村人達の切なる願いを容れて、拝み台のすぐ上にある、六住のまま荒れていた龍泉寺を、再興することになりました。
 滝の口の上人様と言われて、龍泉寺中興の祖となった照善上人がこの人です。勿論、潜吉の発心修行した四十年後の姿であったのです。
安楽寺は徳川時代末期まで栄えていたのですが今は、塔の原(堂の原)の地名を残すのみとなりました。
 滝の上に現れる二体の観音様と、龍の姿は今でもたびたび見た人はあるのです。
科学的にみれば、それは高い山に登って霧に包まれた時、太陽のひかりを背に受けた自分の姿が、霧の中に大きな怪物のように映って見える『ブロッケンの怪』と呼ばれる現象かも知れませんが。
 しかし、滝の左の落ち口と右の落ち口との間の岩壁の下の方に、仏像らしい形のものは、今でも水の少ないときによく拝めます。
 冬から春にかけて、霧の深い日には、日出生台方面から、鹿が水を飲みに滝の上流まで出てきますが、霧が深いのと、先の見通しが利かないのと冬の間は両岸の岩肌がつるつる滑るものですから過って滝壺におちて死んでいることがあります。
 何しろ、あの角のついた頭が、滝壺の渦の中でゆらゆら揺れているのは、そっくりそのまま絵にかいた龍そのものに思われます。
 潜吉の父が見た観音様や龍も、たぶん以上のようなものであったかも知れません。
しかし、それも本当の龍や観音様であってもいい訳です。