編集発行人 コサカが贈る勝手きままな
つれづれ日記です。ハッピーな日もブルーな日も
美味しい珈琲で、一息いれてください。

3月31日 竹田、小倉、鹿児島

竹田の若者は、すごか!
現役で昭和のクルマば、乗り回しとる!



ここ数日あちこちと動きつつ 
その間に風邪を引いたり筋肉痛になったりで、
身動きができない日もあったが、なんとか回復している。

3月23日は、沼田みよりさんが主催する
「mon Sakata」展に参加するため、
山下カバンの山下さんの車に乗せていただき、
大分県日田を経由して、竹田市までドライブ。
独身&自営業同士、いろんな話をしながら。
竹田では、髪を亜麻色に染めた敏子さんと再会。
あいかわらず格好いい。「軽妙洒脱」という言葉が
これほど似合う女性もいないだろう。
お話会で『編む・つなぐ−糸のヨリミチ』
(2012年/アノニマ・スタジオ)の編集を担当してくれた
小坂さんですと沼田さんに紹介され、「敏子さんの
クリエイションの源は?」と尋ねられたはいいが、
あまりまともな説明ができなかったような。
あとから、ああ言えば良かったこう言えばと思うのだけど、
うーん、普段どおりでいるって難しいですね。



mon Sakata 坂田敏子さん いつでも颯爽と格好いい
「あー、この家、かわいいわね」


町の中心地(といっても昔ながらの路地だが)で
深夜まで呑んだあと、山下さんと町に一軒のイタリアンへ行き、
ふたたびワインを呑んで宿へ。
翌朝は、坂田夫妻と山下さんと役場の方のご案内で岡城址跡へ。
桜のつぼみが今にもふくらもうとしている
頃の散策は、本当に最高に気持ちがよくて
皆、「ここってヨーロッパの城壁みたい!」と
有機的な石積みの美しさに感動しきりであった。
私は高校時代の剣道部の遠征で竹田高校に来たことがあり、
その時も岡城を訪れたはずだが、すっかり忘れており
こんなに素晴らしいところだったとは!と、
いたく感動いたしました。
ちなみに竹田の空家は、一軒2000円くらいで
貸し出しているそうだ。リノベーションできる移住者に
とっては、お宝物件ではないだろうか。


竹田の町は、なんというか良い意味で正体不明の
無国籍地帯というか、九州の一部ではなく、
どこか見知らぬ遠い町にまぎれこんだような
奇妙で自由な感覚を抱かせてくれるように感じた。
デザイナーや古道具屋、アーティストも多く
それも理由だろうけれど、しみじみと味わいのある町である。
ちなみに、竹田はサフランの生産量が日本一位。
サフランの3本をペットボトルにいれて
エキスを飲めば、婦人科系にも良いらしい。
ひとつ買って帰った。


それにしても私が坂田夫妻と知り合ったのも、
もとはといえば沼田さんのおかげである。
ライターになって間もない20代後半、展示会の手伝いがてら、
衣食住のよいものを体験させていただいたことが
今の自分にも繋がっていると思うにつけ、
深いところから感謝の気持ちがわきあがった。
そういえば、ちゃんとお礼を言ったことが
なかったような気がして懇親会で料理をとりながら、
隣になった沼田さんに感謝の気持ちを述べていたら、
不思議ですねえ、涙が出てきたではないか。
もちろん沼田さんだけではなく、ほかにも
いろんな人との出会いによって今があるわけだが、
始まりはそこだった。
別に泣こうと思っていた訳ではない、でも自分の言葉に
よって自然とわいてきた感情というのは、
魂の声というか、深いところからのメッセージのように
感じられ、自分もようやく自分なりのスタートラインに
立てたのかなと思えたのだった。
翌々日の昼は、坂田夫妻と山下さんと吉冨寿司へ。
坂田さんが「どうにか生きられました」と
笑いながら吉冨さんと握手を交わしていた。
江戸前寿司を日本酒と一緒に堪能した。



翌日は、牧野伊三夫さんと呑むために小倉へ。
日田からリベルテ支配人の原さんもやってきて
若松まで船でわたり、銭湯〜焼き鳥「丸ちゃん」コースを
目論んでいたが、入店が遅くなると入れない可能性があるため、
牧野さんのお母さんも同乗し、行きは車で向かい
帰りに船で戻ることにした。
牧野さんのお母さんは、2度ほどご実家に泊めて
いただいたときに駅まで送ってもらったことがあるが、
ショートヘアのセットがいつも宝塚の男役のように
バシッと決まっていて、その髪型と笑顔を見るだけでも
元気をいただく。
しかも、私がどこの誰かもよくわからないのに、
警戒心がまったくなく、オープンマインドで、
悩み相談もしていないのにそういう空気を察されたのか、
「人生いろいろ!」というような話を
素朴な小倉弁で呟かれるのだ。
魅力的だわー!


が、あいにく銭湯の扉に「しばらく休みます」との貼り紙が
出ていたため、一同は、あっ!と立ち尽くしたが
仕方がない。お母さんと別れた後、
恵比須神社にお参りして焼き鳥屋「丸ちゃん」へと急いだ。
いやあー、女将さんのきびきびさした清潔感が際立つ
いい店でした。牧野さんは、「あの女将さんに注意されたら、
ハイッて従いたくなるね」と酒を片手に呟いていた。
2時間半ほどいて、船に乗った。
牧野さんは船着き場の自動販売機で130円のアイスコ−ヒ−
(紙コップで出てくる)を買い、船賃の100円とあわせたら
230円コ−ヒ−だね、小坂さん、本に書いたら?と
笑いながら気持ち良さそうに船に揺られていた。
やっぱりすごいなあ、牧野さん。
真似になるからしませんけれど、
瞬間的に絶妙なところをついてくる、
これが牧野さんの企画力のすごさである。



船から降りて小倉の角打ちに行くと、小倉の角打ち研究会の
会長さんがいらっしゃり、牧野さんとの再会を喜んでいた。
そのあと、牧野さんとは幼馴染みの絵描きであり、
教頭先生をしている田口さんに連絡をとったら、
なんとその時に久々に一緒にいたという
中学校の女子2名らもやってきて、
実に40年ぶりの同窓会を果たしていた。
牧野さんは当時からリーダーシップを発揮し、
皆のあこがれの存在だったらしい。
牧野さんと田口さんの話は、牧野さんの近著
『仕事場訪問』(四月と十月文庫8)のにおさめられている。
ぜひご一読を。感動的な話です。
その田口さんと皆でワインバーにいると、
ヤブクグリメンバーの宝珠山さんも合流し、皆でわいわい。
私は風邪もひいていることだし、
最終電車で家に帰る予定にしていたが、赤ワインを
呑み始めたところで、早々にもういいやあと帰宅をあきらめ、
近所のマンガ喫茶に泊まりますと言ったら、
牧野さんと牧野さんの奥さんが、それなら実家に
泊まったらいいというので、お世話になることに。




翌朝6時起床。
特別な理由もないわりに急いで帰ろうと思っていたが、
牧野さんに挨拶して帰ろうと二度寝をして
奥さんが作ってくれた朝食を頂いていたら、牧野さんが
「ちょうど原画の整理をしているから見にこない?」という。
そう、今年末に発売予定の初の画文集に向けて
資料整理をされている真っ最中であったのだ。
アトリエをのぞくと、段ボールが山積みで
あちこちに貴重な作品があった。
これまでの掲載誌のありとあらゆるものも
ちゃんと保管してある点がすごい。
と、サントリーの広告に使用されたらしい開高健さんの
モノクロ写真の紙焼きを発見。
「う、うわ、すごいですねえ!」
「あ、それカナダのバンクーバーに撮影に行った時の。
 アートディレクター兼デザイナーとして着いて
 行ったんだけどさ、まだ全然わかんない頃で」
囲炉裏を囲んで珈琲を飲んでいたら、牧野さんがふと
「小坂さん、これから資料整理用の写真を撮るんだけどさ、
一緒にやってく?」と冗談まじりに言うので、
なんとなく、まあ、それもいいかと参加することにした。
メンバーは、牧野さんと、牧野さんの奥さん、私。
三人の担当はどれにするか考え、私がシャッターを押す係、
牧野さんは鉛筆でリスト書き、奥さんが牧野さんと
確認作業をしつつ、写すものを私に渡してくれるという
段取りとあいなった。



牧野さんのお母さんが趣味で使っているカメラを
三脚に設置し、足をガムテープで固定し、
段ボールを2個並べた上に画材の板を敷き、即席の撮影
セットを作って、 いざ、始めるぞというその瞬間。
牧野さんが「小坂さん、ここから先は終わるまで手伝って
もらうことになりますから、バイト代をお支払いします」と
真面目な顔で言うのだ。
「いえいえ、もうそれはまったく気にしないでください。
私も本の装幀でお金以上のことをやっていただいていますし、
楽しいからいいんです」と胸の前で広げた両手を
左右にふりながら答えたところで、作業スタート。
いやー、久々に写真を撮っていて汗をかきました。
しかも原画の場合、薄紙をていねいにはがして
撮らないといけないため、気はつかうが
できるだけ急がねばならない。
しかもほぼ中腰という。
でもだんだんコツがわかりリズムができあがってくると、
ランナーズハイじゃないけど撮影ハイになり、
体の痛みも忘れるのだった。
カメラのバッテリーがなくなったところで、充電する間、
休憩して昼食。それから再びスタートしてすべて撮影を終え、
資料を整理し、段ボールに詰め替えたり なんだりしていたら、
すっかり外も暗くなって いたのであった。
「小坂さんがいなかったら、終わらなかったよ!」
「本当に!ふたりだったら恐ろしいことになってました」
牧野夫妻に拝まれるように感謝された。
さすがに猫のごはんのこともあるし、
すぐにおいとましようと思っていたら、お母さんが
どうしても夕食を一緒にと言われているらしく、
牧野家の食卓につき、焼酎のお湯割りと近所の魚屋さんが
たまに作るという寿司の出前をごちそうになった。
牧野さんのお母さんは、観山荘の観劇ランチ会に出かけたので、
「私一人やったら、ごはんはいらんのやけどね」と言いながらも、
ハモの団子とレタスのスープなど美味しい一品を作ってくださり
ありがたいことであった。



食事を終えたら牧野さんが
「これで終わりなのも何だから」と、
アトリエで濃いめのハイボールを作ってくださり、三人で乾杯。
ぐっと飲み干すと、甘みのある炭酸が炎症気味の喉に心地よく、
「あー、美味しい!!」と、思わず声が出た。
帰り際、牧野さんが開高さんの例のプリントの一枚を
「これ、あまりプリントはよくないけどお礼に」と、
自分の絵の描き損じの紙で 丸めて包んで手渡してくれた。
「でも小坂さんにこれまでの仕事をみてもらって良かったよ。
 いろんなタッチの絵があったでしょ」
本当に牧野さんの絵は、自由自在、
自分で絵からコピー、
デザインまでやってしまうのだから。
サンアド時代の貴重な仕事の数々にまざり、
同僚や先輩からの書き置きやメモなども
「なんとなく捨てられなくて」と、大事にとって
あったいたが、そういうのがいちいち洒落ているというか、
そのメモすら広告になるというレベルで、
やっぱり作るもの=人間力だよなあと思う。
深夜、街を徘徊する軽トラックの夜鳴きラーメンを
頼むという牧野さんと別れ、家路に着いた。


翌日、起き上がると、熱っぽいし、全身、腰を中心に
筋肉痛がひどかったので、足を引きずりながら
近所の内科で薬をもらい、しばらく横になっていた。
当然、食欲もわかず、お酒なんか呑む気にもならず、
健康あってのなんとやらだなあと痛感した。



29日は気力をふりしぼって、鹿児島の喫茶店取材へ。
高速バスに乗る体力がなかったので往復新幹線の日帰り。
げっそりした顔つきで鹿児島駅の改札を出ると、
なんと「ねるっこ」デザイナーの大治さんが
大阪で会った時となんら変わらない服装で
目の前に立っているではないか!
鹿児島ではヴォアラコーヒーに立ち寄ったらしく、これから
大治さんがデザインを手がけた有田の「JICON 磁今」さんに
立ち寄るという。
「また全国のどこかで偶然会いましょうね」と
にっこり笑う大治さんに、なぜか反射的に
「ありがとうございます」と頭を下げ、失礼したのだった。
今日で3月も終わり。
体も風邪もようやく楽になり、気力が回復してきた。
そして、そして、おかげさまで3キロ軽くなった。
牧野さんから、喫茶の原稿について「兎に角、本よりも
コーヒーよりも、自分を大事に書いてくださいませ」と
メールがきた。 深いなあー、教わるなあー。
4月は、ひたすら喫茶原稿書きに専念しよう。
それでは、また明日。
(2018/3/22充子さんの写真追加しました)

追伸:そろそろこのサイトを更新するソフトが
   使用停止になったりと支障がでてくる気配。
   もしここが更新できなくなってもまた新しい
   路地裏のページを立ち上げますので、その節は
   検索をしていただければと思います。
   念のため、書いておきます。

                   (編集発行人 コサカ)



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