編集発行人 コサカが贈る勝手きままな
つれづれ日記です。ハッピーな日もブルーな日も
美味しい珈琲で、一息いれてください。


6月7日 東京一週間


大坊珈琲店 in  山陽堂書店
左から小坂、編集者の足立さん、恵子さん、大坊さん。
ここに山陽堂の方々をふくめ、「チーム大坊」!



5月29日から6月5日の東京滞在。
本当に濃い体験をいくつもさせていただいた。
29日は、夜7時に新潮社で大坊夫妻と待ち合わせ。
飛行機の離陸が遅れ、私は5分遅れで到着したが、
深夜受付の人に名前を言うと、ちゃんと伝言がいっていて
わざわざ部屋まで案内してくださった。
受付の人達もニコニコして、とても感じがいい。
歴史ある老舗出版社の余裕というか、
品性というか知性のようなものを感じた。
通された部屋には、直前までそこでサインをしていた
『大家さんと僕』(矢部太郎著)の本が
入った段ボール箱が積まれていた。
なんでもその一室は、ベストセラー部屋と呼ばれる
部屋でもあったらしく、そのような縁起のいい場所で
サインができるなんて光栄である。




しかし、我々のサイン冊数は今回、山陽堂書店の
分まで入れると、ざっと1000册。
タレントでもあるまいし、通常ではありえない冊数らしい。
果たして、どこまでのペースでやれるのかを
試す意味でも、皆、緊張していた。
「美美」と「森光」の落款大小を持参していたが、
さすがに「森光」まで押すのは、手間が倍増するから
やめときましょうという話になったのだった。
最初こそ「美美」のでっかい印に手こずったが、
とにかく先を急がねばと、力任せにやっているうちに
コツもつかめてきた。
液体インクを大坊さんらが持っていたので、
薄くなったなと思ったら、こまめにスタンプ台に
塗り塗りすれば、押す力も半分ですむ。
私と大坊恵子さんと交替で押した印の隣に、
大坊さんが手書きでサインをしていき、
できたら裏写りを防ぐ合紙を挟んで段ボールにつめていく。
最初のうちは、印を押す位置について
大坊さんから「もっと左」とか「もっと下」とか
細かい注文が出され、そのたびに
恵子さんが「そお、でもね、これ難しいのよ」と
さりげなく反撃をし、同じく体験者の私も心のなかで
(大坊さん、うるさいな)という失礼な突っ込みを
入れながらの作業であった。



右に見えるは『珈琲屋』の山。
恵子さん、何か妙案を思いついたか!?



フレーフレーKATSUJI ファイトファイトKEIKO

貴重なサイン本は、東京なら山陽堂書店、
福岡は美美にてお求めを。「モカに始まり」もあります。



「今、何冊になった〜?」
腰をのばして成果を数えるのが、サインの生き甲斐。



印を押すのはけっこうな力がいるので
汗だくで黙々とやっていたら、大坊さんから
「あなたも根をつめてやる方だね」と
お褒めの(?)ことばをかけてもらった。
大坊さんはサインをするたびに、「美美」の文字の彫りの
美しさにほれぼれして、その字と隣り合って
引き立つ大きさや文字にするにはどうすればいいかを
ひとり楽しみながらサインしておられた。
でも恵子さんの印押しがおくれると、
自身の書くペースが乱れるのだろう、
「ハ−リ−アップ!ハーリ−アップ!」と
号令をかけていた。
結果、1時間で160册もすすんだため、
編集者の足立さんと販売担当の方に、びっくりされた。
残りの570册も翌日の午後4時には終えることができ、
31日の午前中に山陽堂の200册サインも余裕であった。
30日は、サラメシにも登場したという
新潮社の社食で天重をいただいた。
編集者らしき人だけではない、ガテン系の服装の
人など多種多様な面々が並んでいる風景がステキ。
なかに大坊さんの顔をみて「あっ!」と思った
社員さんもいたようだが、そこはトウキョウの社会人。
そしらぬ顔で見守ってくださっていたようだ。



さあ、会場の山陽堂書店が見えてきた。


120年の歴史をもつ山陽堂書店の壁画は
週刊新潮の表紙を飾った谷内六郎氏による。
ご縁ですなあ。



開店前、懐かしい表参道をみつめる大坊さん。


2階の写真展をながめる大坊夫妻。
2018年6月12日までやっています。



すばらしい写真を撮ってくださった菅野健児さん。
5年ぶりの再会。今回もありがとうございます。


フジローヤルの手廻しロースターの
ポスターなどのデザインを担当された吉田さんも
名古屋からきてくださった。
「あの、グルグルね、グッドだよ、グッド!」と、
デザインにお褒めの言葉が。
<FUJI公式動画>


6月1日、2日の山陽堂カフェでの
「大坊珈琲店」限定オープンイベントは、
私と編集者の足立さんが白いシャツに
黒いエプロンをつけて接客にあたった。
ふたりで運ぶ人、片付ける人、注文表を回収する人など
流れに応じて臨機応変に動き、 粛々と、いや時々は
間違えながらもたいしたミスもなく二日間を過ごす。
接客初体験の足立さんは、器のこと、ブレンドのことなど
お客様にきかれたらというのですかさず
メモされていて、優秀な編集者は万事において
ちがうわあと感心したのであった。
両日で計4回来店した若者や関西のおじさんらを
始めとする熱狂的な大坊ファンに混じって、
偶然、前を通りがかったご近所さんもお見えになり、
客足は途切れることがなかった。
つい先日来福した沖縄の「マホウ コーヒー」さんも
日帰りでやってきて、 胸がいっぱいで言葉にならないと
帰っていかれた。イベントとはいえ、大坊さんや恵子さんと
一緒に喫茶ができたことは、スペシャルな体験だよなあ。




新潮社クラブのお庭
秋は、紅葉が美しいだろうなあ。



東京滞在の初日はビジネスホテル泊だったが、
あとの4日は「新潮社クラブ」という
作家が缶詰めにされる際の宿に泊まらせていただいた。
三島由紀夫先生、開高健先生など歴代の作家を
閉じ込めて執筆させるのが目的というだけあって、
かつて鍵は部屋の外にしかなかったらしいが、
時代の流れととともに内側につけるようになったとか。
残りの2日は、大坊さん家の喫茶室を
我がねぐらとしてご提供いただくという、
非常に恵まれた待遇にあずかった。
目がさめると、平野遼の絵と大坊さんが摘んできた
ドクダミの花、キムホノさんの器、蔵書が目に入るって
こりゃ、
ただごとじゃないぞ・・・。
大坊夫妻といただく朝食、コーヒータイム、
各々の状況を察しながらの洗面タイム・・・
私が垣間見た大坊家の日常については
守秘義務に配慮しつつ、後日書いていきたいと思う。



新潮社クラブの管理を任されている柳さんは、
三角巾ルックがよく似合う長身の女性。
村上春樹先生や沢木耕太郎先生、
養老孟司先生など名だたる方々の執筆中の
お世話をしてきて10数年というキャリアだけに、
私のような作家といえない人間にも
「先生!」「先生!」と明るく声をかけてくださる。
「先生、お風呂をお入れしましょうか?」
「先生、明日の朝食のパンはクロワッサンがいいですか?」
「先生、食後に珈琲をお持ちしましょうか?
 あ、でも先生はいつも美味しいものをお飲みだから
 どうでしょうか」
「先生、甘いものはお好きですか?」
「先生、冷蔵庫にお水や西瓜など入っていますから
 召し上がってくださいね」 などなど至れり尽くせり。
一日だけ打ち上げで午前0時に帰宅した翌朝、
朝8時頃にガラッと部屋の扉を開くと
すぐに「おはようございます」の声がして、
「あら、先生もっとゆっくりされていたらいいのに」
と言いながら、朝風呂と軽めの朝食を用意してくださる。




初日の朝食 スープがお腹にじーんとしみいった



二日目は和食を希望。
蓋付きの湯呑みが文豪ぽい。


文章を書く者にとってはまたとない
絶好の機会、かつて確かにここで息をしていた
文豪らの気配を浴びながら、せっかくだからと
一応、パソコンを広げて何やら思いついたことを
打ち込んでみたり、小説新潮を読んだり。
小説家でもなかなか泊まれない
この憧れの部屋に4泊もできるなんて、
これも『珈琲屋』という本のおかげである。
ありがとうございます。


村上春樹先生も執筆されたというデスクに
持参したノートパソコンを置いてみた。
背後に並ぶ辞書もせっかくだからと
形だけぱらぱら開いてみた・・・。



柳さんに『珈琲屋』を一冊進呈するとサインを頼まれ
まわりの珈琲好きにもすすめますと大変喜んでくださった。
それと皆さんあまりご存じないと思いますが
新潮社が撮影した大坊さんのインタビューが ありますので
ぜひご覧になってください。
俳優か!?と、突っ込みを入れたくなる
大坊さんの佇まいと語りです。
大坊勝次さん『珈琲屋』インタビュー青山・表参道編



1週間の滞在期間中には、「波」に書評を書いて
いただいた雑誌『dancyu』のWEB編集長の
江部さんを通じて知り合った ライターの深町さんや井川さん、
編集者の神吉さんらと食事をする機会にも恵まれた。
肝腎の江部さんは、なんでも腸炎になったとかで
どの打ち上げにも参加できず、残念であった。
代々木上原あたりの「自然派ワインバーの聖地」と
呼ばれる店で呑んで食べてしていたら、
え?あれは写真家のホンマタカシ氏ではないか、
えええ? こっちはブックディレクターの幅氏ではないかと、
トウキョウの人よりすばやく気づいてしまう
というのは、田舎者の証であろうか。
帰り際、幅さんをよく知る井川さんを介してご挨拶。
これまで何度か『福岡喫茶散歩』を紹介していただいた
お礼を言い、すかさず『珈琲屋』のことをお願いした。
「あ、その本、事務所に届いていましたよ」と
いうわけでネットで検索した住所に献本もしていたわけだが、
このような席で偶然にお会いすること自体、
やっぱり私ってもってるわ。




実は東京に行く前日、小倉の焼き鳥屋で
牧野伊三夫さんらと会った時、
その店のトイレの床が水浸しになっており、
これは注意せねば・・・と、慎重に一歩踏み出した瞬間、
つるっと滑って横倒しにこけてしまい、
脇腹と側頭部をしたたかタイルの床に打ちつけてしまった。
その後、あまりのショックと痛みに手も洗えず。
顔面蒼白でふらふらなりながら外へ出て
そのあとも過ごしたものの、くしゃみをすれば
あばら骨が痛いし、その状態でいつもは持たない
スーツケースを持って階段の多いトウキョウを
移動するのは難儀なことであった。
しかし今回は、久しぶりに三田のフレンチ
「コートド−ル」でランチできて、 斉須さんにも御挨拶し、
『珈琲屋』をお渡しできたのは嬉しい事であった。
ずうずうしくもチラシとポストカードもお願いしてきた。
斉須さんは、客が待つロビーのテーブルに、
ガラス作家の横山さんを取材した『手の間』10号を
たった一冊きり置いてくださっている。
特集:焙煎士巡礼 の号で、裏表紙には
森光さんの焙煎機の写真がある。
斉須さんにお礼をいうと、
「もっと横山さんの ことを書いた記事がないかなあ。
僕、彼のものを全部置きたいんですよ。
何も言わない寡黙な人だから応援したいなと思って」と。
斉須さんも横山さん同様に、一途な方である。
大坊さんに斉須さんの著書『調理場という戦場』を
店で買ってプレゼントしたら、ページをめくりながら
「あれ、この人、僕と同じようなことを書いてる。
 今、ちょうど自分も文章を書いているから、
 読んだらまずいね。書き終わってから読もう」と喜んでいた。



4日には、美美の森光充子さんも上京。
みんなで一緒に昼食を食べて『ブネイコーヒー』へ行き、
夜は打ち上げ。翌日は「慶珈琲」にて、
イラスト仕事をお願いした原道広さんと打ち合わせ。
早く終わったので近所の『吉田パン』で
ハムチーズバゲットを買って「慶珈琲」の前の
半円ポールに腰かけてモグモグ食べていたら、
充子さんご一行が橋の向こうから
やってきたので、おおーっと手を振る。
私は、もうコーヒーは飲んだので、
盛岡の地ビールを呑みながらライターの深町さんと
ちょっとだけ話をして、羽田へ。



一週間ぶりの我が家は、やっぱり落ち着く。
猫はキャットシッターさんにお願いしていたので、
おだやかな顔で迎えてくれた。
そして、なんだか大坊さん家で過ごした時間が懐かしい。
大坊宅からおいとまする時、恵子さんが
東大駒場前の駅まで東大を突っ切るコースで
送ってくださったのだが、 その影響か、
その夜、数学の単位がとれずに卒業できないという、
自分が不安定な時にたまーにみる例の夢をみた。
とにかくシャレにならないくらい数学がわからなくて
先生に逆切れしかけている自分。
ああ、夢で良かった。
今日からまた勉強、あ、いや原稿書きに専念するぞ。
それではまた明日。


                   (編集発行人 コサカ)



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