Flower Lei Aloha Room
ハワイポノイ(ハワイの歴史)

王家の遺産

かってはハワイイの国歌であり、今では州歌となっている「ハワイポノイ」は、「アロハオエ」と同様、世界の名曲として広く人々に愛唱されています。今もなお 歌う者の心をゆさぶる「ハワイポノイ」は どのような時代のなかで誕生したのでしょうか。
それは「ハワイポノイ」の作詞作曲をしたハワイイ王朝7代目の王で、『メルモ・ナーク」の愛称でハワイアンに親しまれている カラカウワ王の歴史が雄弁に物語ってくれると思います。

選挙で当選した王様
カラカウワ王は カメハメハの直系ではなく、大王の従弟のケアベア・ヘウルの曽祖孫でした。直系の5世の死後、直系が絶えたので王位は選挙ということになり、1回目はルナリロに破れ、ルナリロの死後、4世の未亡人エマとたたかってやっと王位についたのです。(1874年) つまりカラカウア王はそれまでの直系のような絶対的な権力者ではなかったのです。

王朝衰亡の原因
そんな不安定な状況の時代のハワイイは、ハワイアンも王朝も衰亡の一途をたどっていました。
その原因は隆盛を誇った、カメハメハ大王の時代に始まっていたのです。

原因(1) カメハメハ大王のハワイ統一の秘密兵器
その1つは、カメハメハ大王がフェア・アメリカン号を拿捕した際、捕虜としたアメリカ人デイヴィスとヤングの2人を大砲の技術者として、ハワイイ統一の戦闘に役立てて以来、王家は白人の文明技術を次々と重用してきたことによります。

原因(2) 年間で人口は30万人が4万人に
もう1つは、キャプテン・クックの来訪以来、それまではハワイイにはなかった外来菌(結核、天然痘、コレラ、はしか、チフス、梅毒、等々)によって、人口が急激に減少した事です。
(カメハメハ大王時代30万人がカラカウア王時代は4万人に)

原因(3) アロハの世界観
そして最後は ハワイアン気質です。豊かな天然の資源に恵まれたハワイアンの、アロハの心をもったおおらかで何事も疑うことを知らず何でも受け入れてしまう寛容な気質が、欧米流の弱肉強食の白人の気質に利用されてしまった事によります。

欧米列強の侵潤開始
では、その典型を カメハメハ3世の時代の中で見ることにしましょう。


カメハメハ3世の在位は(1824年〜1854年)30年間ですが、それはまさに激動期の始まりでした。
歴史の激流期は 渓谷の激流に似て、政治権力の流れも 水の流れと同じく 複雑に絡み合い、渦を巻いて時代の下流に落ちていきます。主流が脇に押しやられ、取るにたらぬ水流が流れの中央に躍り出てきます。

ハワイイの白人たちの役割は この激流のように複雑でした。
ハワイアンと王家を守ろうとする白人、手段を選ばずハワイイ乗っ取りを画策する白人、それが複雑に絡み合い変貌し、結局は 白人国家を目指す白人が成功をおさめたのです。


というのも、その時代は列強国が植民地占奪に鎬を削っていたのです。

列強国の植民地収奪競争
○タヒチとマルケサス諸島は一方的にフランスの植民地と宣言され(1842年)
○ニュージーランドは英国に合併され(1840年)
○清国はイギリスに阿片戦争で香港を略奪され(1840年)
○メキシコはアメリカに戦争を仕掛けられて、テキサスとカリフォルニアを略奪され(1846年)
○アメリカの先住民インディアンは土地を奪われ、監獄同様の居住地に押し込まれる
そんな時代だったのです。

各国のハワイイ領事の武力浸蝕
ハワイイもその例にもれず、英米佛の領事たちは 隙あらば植民地化しようと、それぞれが自国の軍艦の入港を背景に占領をこころみました。

まずはじめは、イギリスのポーレット艦長(1843年)
次は、フランスの艦長デ・トロメリン(1849年)
そして、アメリカの領事、グレッグ(1854年)でした。

親ハワイイ派 ジャッドの
この危機を救ったのは、カメハメハ3世の外交官僚のアメリカ人、ゲリット・ジャッドです。
ジャッドは 英米佛の利害関係を巧みに利用した名外交官で、それぞれの危機を乗り切りました。

しかし、そのジャッドの働きを私的に利用し、白人国家を目指す13人委員会なる白人たちは、慎重に謀略の網を広げました。

白人13人委員会の謀略
○ その謀略の第1は、王族に欧米文明の贅沢な習慣を植え付け、それを助長して、王族の借金を次々と増大させる事です。
○ 第2はマヘレ法の成立です。(1848年)
それはハワイイ国土のほとんどを王と245の首長に分配登記するものです。
それまでハワイイの土地は神のもので、王と首長は管理するだけのものでしたが、欧米流の土地は、通貨と同じように財産として取引できるという、借金王族にとっては都合のいい法律でした。


しかし、そこには恐ろしい裏があったのです。

ハワイイの土地は12年間で3/4が白人の手に
白人たちは マヘレ法成立の2年後には、外国人でも土地を取得できる法律をつくったのです。(1850年)
なんと、その法律施行されてから12年間で、ハワイイの国土の3/4は白人のものとなったのです。
農民とちがって 王族たちには土地への愛着が薄く、一口の取引も大きかったために、白人たちは その謀略を成功させることができたのです。

ここで決定的な被害を受けたのは、一般のハワイアンでした。
彼らは日本の農民の米と同様、タロイモを生活の基盤としていたのです。タロイモの水田には水が絶対に必要でした。
その大切な水を、白人たちはサトウキビの大農場に取り上げてしまったのです。ハワイアンが働く意欲を失ったのも無理はありません。

ハワイイ財閥の台頭
マウイ島のハナで始められたサトウキビのプランテーションは次々と展開し、中には宣教師の子孫で教会に寄進された土地で、プランテーションに参加した者もいました。
現在のハワイイの5大財閥キャッスル&クックや、初代のハワイイ共和国大統領のサンフォード・ドールの弟で、後にパイナップルの缶詰で世界的にも有名なドルーたちは、見事な謀略によって巨大財閥に成り上がったのです。

カラカウア王の3つの計画
カラカウアの王位の就任は ハワイイがこんな瀕死の状態の時でした。カラカウアは それでも白人の手から ハワイイを取り戻そうと3つの計画を立てました。

その1 民族意識の高揚
音楽的才能の豊かだった彼は、カラカウア5世のフラ再興をさらに進めて、ハワイアンの誇りを取り戻し民族意識の高揚に努めました。
「ハワイポノイ」が誕生したのは調度この頃で、カラカウアが意気盛んな時でした。

その2 明治政府との同盟計画
第2は、日本の政治的援助を求めて、明治天皇に単身内謁を請い、姪のカピオラニ王女の婿に山階宮をいただく王族同志の婚姻による政治同盟でした。しかし、当時の日本は西南の役がやっと終わって4年目、明治政府もようやく安定期に入る頃でしたので、明治政府にはその力がなく、その話は成立しませんでした。

しかし明治政府は カラカウアの船が横浜に入港した際、祝砲を上打ちげ 埠頭では軍隊が「ハワイポノイ」を演奏したのです。
恐らく 「ハワイポノイ」が外国で演奏されたのは、日本が初めてだったのではないでしょうか。
カラカウア王の感動が伝わってきます。

その3 ポリネシア同盟の計画
そして、3番目は太平洋諸島同盟の大構想でした。植民地化されつつあるポリネシアの島々と同盟を結んで、その盟主となり、白人に対抗しようとしたのです。

アイデアは立派でしたが、それが成功するには 列強の植民地化活動は余りにも強力でしたし、カラカウアの方策は 余りにも幼稚すぎました。それはイオニア宮殿の建設や載冠式などと同様、益々財政を窮地に落し入れる結果となりました。

カラカウア王のパートナー選択の失敗
カラカウアの晩年はあせりの連続でした。マウイ島の砂糖王のクラウス・スプレッケルズの巨大な財力を利用して、様々な施策を試みましたがことごとく失敗し、政府は汚職に腐敗し、さらにはスプレッケルズに利用されてロンドンの金融機関にまで膨大な負債を抱える結果となったのです。

一方では甘い誘惑で堕落させ、もう一方ではそれを改善すると称して、白人に有利な法律を押し付ける、まさに2人3脚のハワイイ乗っ取りコンビの謀略は巧妙で迅速でした。

彼らはついに、白人のための結社、ホノルル・ライフルズという武装集団をつくり、ハワイイ国の武力を掌握していました。(ハワイアンの軍隊はカメハメハ6世の時代に白人議会によって解散させられていました)

平和主義のカラカウア王の失政
その武力を背景に、王に財政破綻の責任を迫り、銃剣を突きつけていわゆる銃剣憲法を承認させたのです。王には閣僚の任命、罷免の権限もなく、ハワイアンはほとんどが選挙権を失ってしまったのです。

カラカウアは失政が失政を生み、民衆の支持さえも失ってしまいました。
55歳の失意の中で病死をするカラカウア王の生涯は、カメハメハ王朝衰亡の象徴と言えると思います。

カラカウア王唯一の遺産“ハワイポノイ”
それだけに、彼が雄図の気概にあふれて、作詞作曲した「ハワイポノイ」は 滅亡した王朝の命運にあっても、雨上がりに立ち昇る凛々しい虹の如く、今もなお人々の心に光芒を放ち、ハワイアンの復権のシンボルとして私たちに強く訴えて続けています。



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