十年前の秋、
二人は深く静まる光明寺の山門に立った。
それは身に浸み入る 雅びな静寂であった。

境内に入ると 山はすでに紅葉のさざ波で湧き立ち、あたりは色とりどりの煌きで輝いていた。

巾が広くおだやかに登る参道の両側は 自然のままの丘陵で、自生した諸々の楓が緑の常緑樹にまじって鮮やかに林立している。

中でも高く聳えるイタヤ楓は 青空に向けて梢を伸し、燦々と降りそそぐ光を浴びて 全身に色づいた紅葉を 更に光り煌めく紅葉へと変身を重ねている。
若草色から浅い黄色へ 浅い黄色から朱の色へ 朱の色から紅の色へと 多彩に変化をとげる紅葉は互いに煌き合い互いに反射し合って ダイヤの様に透明で清しげな光りを四方に放っている。
それは慈悲の心にも似た暖かな光で、なんとも奥ゆかしく 仏の光背を想わせる絢爛華麗な煌きである。

そして参道の丘陵から頭の上まで梢を伸ばしてくるのは 優美な姿の日本モミジである。
見れば朱色一色に見えるモミジも 一枚一枚は色あいも形ちも微妙に異なり その煌き方も一様ではない。
かえでと言う呼び名は“蛙の手”からきたそうだが、誠に可憐で美しい形ちをしている。それが 共に命の美しさを競い合い 共に優しさを響き合わせて 逆光の光に透明な朱色のさざ波を湧かせている。
やがて、ひらり又ひらり、モミジの葉は梢を離れて 木洩れ日が揺れる参道の静寂に ふわりと浮かぶ。まさに紅葉の妖精である。柔らかな陽射の中、妖精は如何にも楽しげに変幻自在な舞を舞う。その美しさはたとえようもなく、あまりの可憐さに果かなさも募るが、それも一瞬、落ちゆく先には名人画伯の絵巻も及ばない モミジの花園が待ちうけている。

可憐なモミジが一枚、そっと二人の足元に落ちる、、、、、、
 ねェ!見て見て、モミジが又咲いている!
指さす久子の一声に、澄んだ小鳥の一声が響く。遥かに一声、又一声。余韻嫋々心に浸みる一声である。

二人は足元のモミジに気を付け、紅葉の花園をそっと抜け出し参道の石畳に戻る。天井高く樹木で覆われた光明寺の参道は、寺社の中でも特に広々としている。それに巾が広く緩やかに登る石畳の景色は たびたび振り返る程美しい。造詣の美が永い歴史の中で自然に育まれた感じである。
あたりは清々しく人影も見えない。
ただ修行僧一人。
参道の片隅で清掃の業に入っている。
白いタオルを頭した僧が、長箒を寝かせてゆったりと大きく 砂浜に寄せる波の様に、ただ無心にモミジを寄せている。

想えば、ここ光明寺の開基は、源氏の荒武者熊谷直実である。源平の合戦で名を覇せた直実は、己の罪業と人間の宿業に苦悶し、武士を捨て法念に帰依して ここに念仏堂を建て ひたすらに念仏の日々を送ったと言う。

サァー。サァー。サァー。僧が反復させる箒の先から かすかに波の音が聞こえる様な気がしてくる。

直実にとって拭っても拭い切れなかったものは、あの一の谷の会戦の 美しい砂浜に寄せてくる 優しい波の音ではなかろうか。
何故己は、平家の若き公達 平敦盛の首を刎ねたのか、敦盛も又何故に逃がす事を拒み 武士の習いと首を差し出したのか。
年老いた老人が生き残り 美しい若者が死んでゆく。何故か。
苦悶する直実の胸にはただ優しい波音だけが いつまでも響くのである。

サアー!サアー!僧の修行は続いている。この世のあらゆる罪業を一掃きごとに 美しいモミジで浄めている様で、僧の姿も清らかとなり仏の様にも見えて来る。

いつしか かすかな波音と共に 直実の念仏も聞こえる気配がして、山は時空を越えて益々幽寂閑雅な佳境に入っていく、、、、、

ふと我に返れば あたりは秋天一碧、紅葉は煌き 小鳥はさえずり、のどかで静寂、心から浸れる“山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)”の素晴らしい秋であった。

ところがである。

今年はタクシーを降りると あの光明寺はどこえやら、諸行無常とは言え雅風壊乱、驚愕と溜め息である。
広々とした門前には柵が打たれ、綱が張り巡らされて、観光バスが我が者顔でその巨体を次々と繰り込んで来る。
あたりはバスから流れ出てくる人又人の洪水である。善男善女は我を忘れて山門につめかけ、警備員はやたらと笛を鳴らす。蛙鳴蝉噪、百花繚乱、もう一遍さんの踊る念仏で叫び出したい気分になる。
しかしこの喧騒も仏の機縁であれば仕方がない。幸い久子は機嫌が良ければ天衣無縫,天然自然の人である。
道端の小さな草花を見つけては声を上げ、遥か彼方の小鳥の声を聞きつけては感動する童女のような人である。
今回の旅は、万葉の歌でも思い出しながら、そんな彼女の感性をゆっくりと拝見して、彼女の中の山川草木国土悉界成仏の世界を探る事にしよう。

秋山のもみじを繁み惑わせる  
妹を求めむ山路知らずも  
  (人麿)
秋山の木(黄)の下繰り行く水のあれ 
こそ益め み想いよりは  
あしびきの山の黄葉今夜もか (鏡王女)
 浮びゆくらも山川の瀬に (大伴善持)
子持山 若かえるでの もみつまで 
寝もと吾は想う 汝はなどと想う 
  (東 歌)
今朝の朝明(アサゲ) 雁が音聞きつ春日山 
黄葉にけらし わが情いたし  
  (穂積皇子)
大阪を吾が越えくれば二上に  
黄葉流る時雨零るつゝ  
春日野に 時雨降る見ゆ明日よりは
黄葉かざさむ高円の山  
  (藤原八束)


万葉ではモミジのことを紅葉と書いた歌は大塚先生の本によれば 一首しかない。

妹がりと 馬に鞍置きて生駒山 
うち越えくれば 紅葉散りつつ 

赤系統では “赤葉” が1例、赤が2例で、計4例で、それに対して黄系統は “黄葉” 76例、“黄変” 6例、“黄” 3例、“黄色” 2例、“黄反” 1例で、計88例で多い。
その他に、万葉の一字一音の表記で、“毛美知” “母美知” の17例があるが、発音は “モミヂ” ではなく “モミチ” 清音だったそうである。

古も今もモミジは変化する様が神秘なのである。