山本の主張

BACK

コラムリストへ

2018年2月21日 カーリングには疑問がある

大分協和病院 院長 山本真

ピョンチャンオリンピックも後半となり、やはり金といえばヨジョンではなく鉄板の羽生、小平というスーパースターだということで、メダルの価値もより上がったように感じます。ただ残念なことは、今回のオリンピックを見ていて、かつてドキドキしながら食い入るように見ていた競技が、なんとも退屈になってしまったと感じるようになったことです。かつては冬季オリンピックのスキー競技は、ノルディックとアルペンでした。どちらもヨーロッパの地名に由来するこの二つの競技は、たとえばノルディックではジャンプやクロスカントリーであり、アルペンが滑降や大回転といったものでした。とくに滑降、ダウンヒルはアルペンの華。BSで流される滑降を長時間見続けたものです。見方が変わったのは長野のモーグルあたりでしょうか。いわゆるフリースタイルというアメリカ発祥の競技が加わり、その面白さというか派手さで興味を集めていきます。さらに近年はスノーボードの競技が加わることでさらにそれが拍車がかかり、ハーフパイプや、スノーボードクロスの登場に、スキーまで同様の競技が加わるという盛況です。これは確かに面白い。たとえばノルディックのジャンプ競技といえばいかに遠くまで飛ばすかという点が重要であり、空中で宙返りなどするものではありません。しかしこれがスノボになると大きく飛ばしても必ず回転させるわけです。縦横だけじゃなくてその複合を3Dとしたりなど用語もお洒落です。2.5回転、3回転とかならわかりやすいのに、nine-hundredとかten-eightyとか表現しています。これは回転角度の表示のようです。2.5回転なら360×2.5=900度、3回転なら1080度だからのようです。マンションの4回から飛び降りるくらいの落差があると解説者が言っていたエアリアルなんて万一頭から落ちたらどーするんだという競技ですが、最近の競技者は皆さんきちんと足から降りています。見て面白くないわけがない。ここで困ったことが起こりました。アルペンやノルディックのトラディショナルな競技が退屈で見るに耐えなくなってしまったのです。かつてTVにかじりついて見た滑降も、数人見たらもういいわ、なんてことになってしまいました。これは私に起こった現象ですが、小生はごく平均的な感覚の持ち主であるので、皆さんの多くが同じような思いではないでしょうか。新規スポーツは派手なだけに結構大怪我も横行しているようで、わが国の有名選手も大事故を経験された方多そうです。今回のハーフパイプでも期待の若手がエッジに落ちて動けなくなってしまいました。そういう冬季オリンピックにおいてひときわ異彩を放つのがカーリングです。なんであれがスポーツになるのか。もちろん数学オリンピックとか技能オリンピックとかいう表現はありますが、それらはあくまで別物でありオリンピックの競技ではありません。身体の筋力と神経系の最大の効果を競うというのがスポーツでありましょうし、その集大成ともいえるオリンピックの概念からあまりに外れているのではないかと思うのです。カーリングが極めて深い技術力を必要とし、極限までの戦略を必要とすることはわかります。正確無比なショットが勝つためには必要でありましょう。でもこれはスポーツではなくゲームではないでしょうか。身体の限界をかける競技であれば、当然ヘタをすると大怪我をします。また常人たる我々には真似のできない動きが要求されます。しかし、そういうことがカーリングにあてはまるのでしょうか。これのメダルが同じ価値があるというのはどうも納得がいかないのです。やはりスポーツとゲームとの境界はきちんとしておくことがアスリートへの敬意というものだと思うのですがいかがでしょうか。