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2012年5月1日 関越道バス事故に思う

悲惨極まりない関越道バス事故を見て、二つ問題があると思った。一つはバスという公共機関が持つ内在的リスク、もうひとつが高速設計上のリスクである。まず前者。鉄道という安全であるはずの公共機関も、運転手が無謀な操作をした場合、信じられないほどの大きな災害を呼び込むことを私たちは尼崎列車事故で知った。鉄路上を走る列車とはいえ、制限速度を大幅に超過すると、鉄路から飛び出し、飛行機事故なみの死者をもたらすことになるのだ。それに比べてバスは、確かに一両あたりの人数は少ない。しかしそこに乗るのは鉄道と同じく一般市民である。その運命は、一人の運転手に全てゆだねられている。実は私も40代後半から、長距離の運転に不安を覚えるようになった。なぜか車に乗って1時間目に、猛烈な睡魔に襲われるのだ。いかんいかんと頭振ったり、大声で歌ってみたり、膝を叩いたりしてみるがおさまらない。次から次へと涙がこぼれ落ちてきて、眼振さえ起こりだす。突然バババという大きな音に驚いたら、大雨がフロントウインドウを叩いている音で我に返ったなどということもある。これはいつか事故るぞ、と恐怖感さえ覚えていた。なぜそのころからそういう症状が出るようになったのか。思い当たるのは、タバコをやめたことであった。そうだ昔はこういうときタバコをふかしたんだ。そうしたらなぜか眠気が去っていったんだと。ニコチンにある興奮作用がほどよく効いていたのではないかと思う。最近ようやくこれを克服することができるようになった。眠気がきたとき、もよりのコンビニやSAで車を止め、15分程度眠るのである。不思議なもので一度短時間の睡眠をとると、その後何時間ももう眠気はやってこないのだ。それでも問題があるのは高速で、どこでも止めれるわけではない。次のSAまで30kmとかいう表示見ると、半ば絶望的な気分になったりする。なぜ1時間目に眠気がくるのかはわからない。そしてごく短時間の睡眠によってその後全く眠気が来なくなるメカニズムもよくわからない。ただこういう反応があることを知ることによって、長距離の運転への恐怖が消えた。しかし、どこでもいつでも(高速上ではそれもややままならないが)止めて眠れるのは個人だからだ。バスの運転手となるとそういうわけにいかないから、必死で睡魔と闘いながら走っていたのだろう。そしてついにふっと意識を落とした。落とそうと思って落とすわけではないから、これは人があらゆる動作をこなして運転するバスという機関の持つ内在的な危険であろう。一人乗務であるかぎりこのリスクから自由になれないのだ。次に後者。バスはガードレールに接触したあと、鉄製の板に突っ込んで真っ二つにされている。この事故の場合、バスが自分で突っ込んでいったわけであるが、横にいた車に接触され、路肩に押し出されるとう事故だってある。You Tubeにもそういう映像が存在する。高速を走ると、トンネル内に待避所が設けられているのを見るが、万一あそこに突っ込んだ場合どうなるんだろうと思う。プラスティックのクッションが置かれていることもあるが、あんなものが役に立つかと疑問を持ったりもする。今回ガードレールに接触してその後、鉄の柵に突っ込んだようだが、ガードレールは柵に突っ込まないように設置されていたわけではないのだろうか。道路に包丁を置いているようなものなのだから、そこに車が突っ込まない仕組みが必要ではないだろうか。いや、そのように作られていたのかもしれない。バスがガードレールを押して、鉄柵に突っ込んだのかもしれない。であれば、その部分の強度が不足していたといえるのだ。あるいは、鉄柵の開始部分を斜めにするとかして、突っ込まれず、車を押し出すような構造にすべきなのだ。今回多くの被災者が出てしまった責任の半分以上は、こういう危険な構造を作った道路公団にあると、私は思う。それは自らの責任の範囲外のもらい事故で、こういう事故が起こったとしたら、より明確になることで理解されると思う。運転手を責めても、次の事故は防げない。こういう危険な構造がわかった以上、それを修正すべきだと思う。この構造を修正したら、責任を認めることになるとして動かないとしたら、それは原発事故と同じ問題となるのだ。世界一料金の高い高速といわれるわが国の高速道路である。世界一安全な構造を確保すべきではないか。