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2013年10月1日 JR福知山線事故と福島原発

尼崎のJR福知山線事故のJR西日本歴代三社長への判決は無罪であった。冷静に考えれば司法として当然の判断と私も思う。いかに結果が甚大であっても、社長個人の責任は、法的整合性がないかぎり違法とは判断されるわけはないからだ。これまで多くの飛行機事故が起こっているが、引責辞任された社長はいても、刑事責任ありとされた社長というのは聞かない。

ではたとえばどういう事態であれば、これら会社の代表者が有罪になりうるのだろうか。たとえばこういう事態だ。会社のなかで「あの部分」は危険だと声があがり、取締役会にもその対処が求められる。取締役会でも危険性は認識され、なんらかの対処が必要だと考えられたが、社長の一存でこれを拒否した。そして「あの部分」で大事故が発生した。こういうことではないだろうか。

会社のなかでそういう声が取締役会に届いておらず、取締役会にもそのような議論がなされていなければ、どだい社長の刑事責任を問うといっても最初から無理がある。誰かに責任を取らせたい、自分と同じように事故を起こした会社のトップを苦しめたい、そういう復讐心を満足させることがもし法で可能であるならば、世の中は今よりずっと陰惨なものになってしまうはずだ。また、そのような風潮をあおるマスコミは危険だと感じる。イレッサ訴訟もそうであったが、今回も遺族の「悔しさ」を前面に出した報道が多かった。読者の感情をあおることはやめるべきである。鬼畜米英のあおりをマスコミは未だに反省できていないのだろうか。マスコミとして遺族の悔しさを報道しなければならないと考えることは間違っていないが、その悔しさと社会的公正とを混同させないようもっと慎重に報道すべきだと思うのだ。

もちろん、社会的責任は、刑事だけではない。この大事故も民事での賠償責任は当然存在している。運転手の無謀な運転が原因なのであって、会社には賠償責任がないということにはなっていない。そこに本事件の法的な解決があると認めないといけないのだ。

さて、このように書いてみるとどこかの話を思い出す。そう、福島原発である。15mもの巨大津波を予見することができなかったから不起訴だと検察は結論したようである。先の方法論でこれを検証してみるとどうなるか。社内で津波に対する危険性の議論はあったか?これはあった。そのような報告書もあった。社長を含めて社内でも津波の発生可能性と危険性は認識されていたが、社長をはじめ責任者は対策には莫大な資金が必要だとしてこのことを無視した。社長の責任ですべきことをしなかったのである。明白にJR西日本とは違うではないか。

さらにいえば、15mの大津波ということがことさらに喧伝されているが、そしてそのような大津波の予見ができなかったとされているが、あの施設は海面よりたった5m高いだけの施設であったことを忘れてはいないか。5mというのは通常の外洋に面した海岸集落の高さとほぼ同じである。そして福島原発はまさに外洋に面した構造である。つまり、通常の風波への対策しかされていなかったということなのであり、津波については15mだから突破されたとかではなく、全く考慮されていなかったということなのである。一発ごとの短周期の風波と海面全体が盛り上がる津波は流れ込むエネルギーが違う。このことは、わずか5mの津波であっても、福島原発の敷地内に海水が流れ込み、水密構造をとっていなかった電源は全てダウンすることを意味するのだ。「15mの巨大津波」に惑わされてはならない。福島原発は、津波対策を全くしていなかったということが、今回の大事故の原因そのものなのだ。つまり、わずか5mの津波で今回と同等の事故を引き起こしていたら、社長に責任がなかったというような検察の判断が出せるたのかどうか考えてほしい。通常の津波には耐えるが、15mという予見不能な津波だからやられた、というわけではないのだ。「15mの巨大津波」を免責の条件にすべきではないのだ。