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2015年3月27日 意図的に墜落させた、わけがない

 ドイツ、ルフトハンザ航空傘下のLCCのエアバス320がアルプス南端に激突した。副操縦士が、機長をコックピットから閉め出して、降下操作を行い、なんの反応もなく山に一直線に飛び、そして激突した。この事態をもって、フランスの検察は、副操縦士の意図的な飛行機破壊であるとしている。  昨日から、テレビの報道は、すべてこの筋書きで伝えられている。今朝の新聞も、同様である。もう少し批判的にものを見てはどうか。

小生としては、本気でそんなことを考えているのか?とこの間の報道に驚きを禁じえない。飛行機を意図的に降下させ、山に激突するのなら、パイロットは意図的であればあるほど、強度の興奮や、動揺が出るはずだ。911の「殉教者」たちは、アラーアクバールと叫びながら突入したことが判明している。おそらく大戦での我が軍の特攻兵士も、そのような叫びを上げながら突入したであろうことは疑う余地がない。 

なぜ、意図的なのか。その理由は、副操縦士が呼吸をしていてそれは衝突まで続いたいたからだそうだ。 

人は意識を失っても、呼吸が止まることは稀である。例えばてんかん性発作は、突然意識を刈り取るが、呼吸はとまらない。睡眠時でもそうである。呼吸が続いていることと意識があることは何の関係もないのだ。 

そうではなく、コックピットがあまりに平静であったことのほうが異常なのである。副操縦士は、機長からの呼びかけにも答えず、さまざまなアラームにも反応せず、平静なまま山腹に激突した。これで推察されることは、一人になった副操縦士が意識がなくなっていたということである。精神医学に多大な貢献をしたフランスのはずであるが、このような基本的なことさえ判断できず、副操縦士に事故の責任をなすりつけようというのは、あまりに人の反応を理解していないのではないかと思う。 

かつてコックピットには、国内線でも3人乗務であった。機長、副操縦士、そして航空機関士である。わが国の日航ジャンボ墜落でも、操縦困難に陥った機体を3人が必至で立て直そうとしていることがボイスレコーダに記録されている。それが、航空機関士は不在でよいことになってしまった。また、911での乗っ取られから、コックピットの扉は外部からでは開かないように変更された。つまり、脆弱な個人一人のみがコックピットに残るということになったのだ。人間は、そんなに大きな頻度ではないが、突然の発病、意識喪失はありうるのである。車の運転においても、居眠り運転は大きな事故の要因である。すなわち、この事態は、経済性とリスクマネージメントがもたらした隘路のようなものなのだ。飛行機が緩降下から一直線に山に向かい、その間なんの反応もないというのは、副操縦士が意識を失っていることをまず考えるべきだと思う。意識を失う瞬間、操縦を代わった彼がなんらかの動作をして、計器に触ったと考えるのが自然であろう。 

この事故は、経済的事由から3人体制を廃止し、コックピットに一人だけになるというリスクがもたらした人災であることが明らかであろう。人は脆弱な存在なのだ。たとえその発生率は低くとも、母数が膨大になるとかならずどこかで問題は顕在化するのである。すなわち状況からみて、意図的に墜落させたとはまず考えられない、のである。