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◆初代ミミ編◆
長生き「みーこ」の母猫さんは三毛猫の初代「ミミ」です。昭和58年8月に主人のお友達から貰ったのですがとにかく蚤がいっぱいいるので部屋に入れる気がしなくて外に置いていた洗濯機の上で一晩過ごさせたのです。朝起きてみると洗濯機の上でか細い声で鳴いていました。真っ暗い夜中にこんな小さい猫さんを外に置きっぱなしにしたのが悔やまれお湯をタライに入れ蚤退治をしたのです。蚤の死骸は全部新聞紙に広げ数を数えました。90匹もいたのです。ミミはそのときの恩を感じてか私の上で寝るときも横で寝るときも私にお尻を向けたことは一度もありませんでした。私が40日間入院したとき主人がご飯を食べさせるときも部屋の隅にいて絶対に懐かなかったと言っています。ミミは母猫さんとしてとても立派でした。最初に産んだ5匹が器量が良かったのと毛色が白が多くて5匹とも直ぐに貰い手が見つかったのです。私が主人に「ミミに避妊手術を受けさせようか」と言うと「ミミの子供は直ぐに貰い手が見つかるからもう一回だけ産ませよう」と言ったのです。3匹のうち2匹が貰われていったのですが利発なミケちゃんがもの凄い声で鳴き通しているので手に負えないといって菓子折り付きで返品(?)されました。残った猫ちゃんは「タマ」と名付けました。この猫さんはもの凄く性格の良い猫さんでした。
◆親猫ミミとその子たち◆
ミミはしばらくは出戻りの利発なミケと温厚な性格のタマとの生活が続きました。私はその日うかつにもミケが帰って来ていないのに気付かなかったのです。ミケがまだ子猫のとき裏にある民宿の高い木に登って降りることが出来なくて一晩中鳴いていたと民宿の奥さんから連絡があり親猫ミミを連れて行ったのですが親猫ミミは木の上を見上げて思案に暮れていました。ところがそのときタマは木の上のミケの側まで昇りミケを誘導し始めたのです。タマが降りて見せたのでミケも降り始め下で見ていた数人の方に笑顔が見られるようになった時タマは足を滑らせ数メートル落下してしまいました。でもタマが昇って見せなかったならばミケは恐がってどうなっていたか分からなかったのでタマの勇気に皆さんが感心されたのでした。利発なミケはタバコの銀紙を丸めて投げるとくわえて持って来るようになりました。ドアを開けてドアの上に乗せると上まで登ってくわえてくるのでした。当時もっていた三面鏡を開いて上に乗せてもくわえて持って来るのでした。家の歴代の猫さんの中で「持って来い」と言って「持って来た」のはミケと今居るトムだけなのです。
◆親猫ミミ 子猫時代◆
きょうのお話は親猫ミミの子猫時代に戻ります。ミミは生後一ヶ月くらいでお友達から貰った白の多い三毛猫でした。私はミミが小さい頃はリードをつけて肩に乗せたり抱いたりして2分ほど歩くと直ぐ裏手が堀端公園でしたのでよく連れて行きました。ミミは子猫時代から大人になるまでずーっとお家の中で暮らしていました。おふろも小さい時から慣れさせていましたのであまり引っ掻かれたことはなかったようです。私がタオルで拭いて主人がドライヤーで乾かしてそれこそ大事に大事に可愛がっていたのでした。私はミミのことを器量良しだと思っていたのですが他の人の眼にはどう写っていたのか分かりません。お向かいの奥さんも娘さんも暇があるとよくミミを見に来て下さいました。当時小学5年生だった娘さんがミミを抱いて写った写真を引き伸ばして渡したのを鮮明に覚えているのです。私は娘さんもミミも可愛く撮れたと満足しているのでした。私はミミが大人になる前に避妊手術を受けさせるかどうかを迷ったのですが主人も私も一度は可愛いミミの子猫を見たいと言うことで意見が一致しました。そして忘れもしません。昭和59年11月20日5匹の赤ちゃんを産んだのでした。その中の1匹が19歳近くまで生きた長寿猫のみーこだったのです。
◆母猫ミミと長寿猫みーこ◆
子猫の貰い手を探すのは当時無料だった熊日新聞の伝言板に「子猫差し上げます」とハガキを書いて出していたのです。5匹のうち真っ白な2匹は新聞に掲載されたその日に貰われていったのでした。残りの3匹を段ボール箱に入れて予約していただいた3軒に届けに行ったのです。お団子しっぽの猫(みーこ)が最後に残ったので主人も私も大変に喜んだのです。Sさんが最後の配達先でしたから。貰われていったSさんとは電話を掛けたり「みーこの名前」で手紙をいただいたりしました。みーこの誕生日には必ずみーこを電話口に出して「ほーら 実家のお母さんよ」と言ってみーこの声を聞かせて下さったのでした。ご夫婦で泊まりに行かれるとき「預かってください」と言われて何日間か忘れましたが親猫ミミと二回目の子どものミケとタマと最初の子のみーこが一緒に過ごしたのです。
トム(現在いる猫)の時代になってから一度だけ「預かって欲しい」と電話があったのですが「りりー(犬)と元気の良いトムがいるから」と言ってお断りをしたのです。
◆預かり猫のみーこ◆
にゃんにゃんBBSのMISTAKERさんはみーこを預かったことをびっくりされているようですが首輪をした迷い猫さんもミミ、ミケ、タマがいた頃何度も預かりました。迷い猫さんを家に入れ熊日新聞に「迷い猫預かっています」日時・場所・猫さんの特徴をハガキに書いて出していました。預かった猫さんがいる時はいつもは開けている窓を閉めていたのです。引き取り手のない猫さんが一匹だけいました。真っ黒で白い月の輪みたいな柄があった猫さんでご夫婦で引き取りに見えたのですがうちのではないと言われたのです。みーこを預かったときの写真が一枚だけありました。炬燵の足に赤い細いリードでつないでいたので私の目の届かないところでケガをしたり他の猫さんとのトラブルを避けるためにつないでいたのでしょう。主人はみーこを預かった記憶が全くないそうです。みーこを預けにこられた時は白波を二升いただいて呑んでしまっておきながら忘れてしまったと言うのです。今日Sさんに電話を掛けました。みーこを預かったのは二回、日数はそんなに短くはなかったと言うお返事でした。Sさんがみーこを迎えにこられた時私は表でみーこを抱いて椅子に掛けていたという話をして下さいました。親猫ミミ、二回目に産まれたミケとタマ、一回目に産まれたみーことのトラブルはなかったと思います。みーこを預かった時ドアの前に「お嫁に行った猫さんが里帰りをしていますのでドアを開けないで下さい」と張り紙をしていたのを私は鮮明に覚えているのです。
◆なかよし ミケとタマ◆
親猫ミミが二回目に産んだ三匹の中の一匹は40キロ離れた八代(やつしろ)の方に貰われていきました。今から書くお話はミケの「木登り事件」のあとの事です。猫好きの私の妹が我が家に遊びに来た時ミケの爪をを切ってしまったのです。親猫ミミ、ミケ、タマの中で一番ミケが人懐っこかったのでしょう。私が大反対をしたのでタマの爪は切られずに済みました。親猫ミミは主人にさえ懐かなかったのですから妹のそばには近寄って行かなかったと思います。妹のところの猫は一歩も外に出さないので爪と言う武器は必要がないのでしょう。私は当時窓を開けて出入り自由にしていましたので猫の爪を切るなど思いも寄らなかったのです。私の不安は的中したのです。ある時私が外で洗濯機の中の洗濯物を取り出そうとしていた時、道路の方からタマが異様な鳴き声をあげながら走って来たのです。私がタマに気付いたら、またタマは道路の方に走っていくので付いて行ったところ、少しはなれたところに傷ついたミケが帰ってきているところでした。ミケとタマが一緒に遊んでいたところで爪と言う武器を持たなかったミケはボス猫にやられたのでしょう。ミケはお腹を大きくえぐられたような傷を負っていました。タマは必死でミケが傷ついた事を私に知らせに来てくれたのでした。主人はミケの傷を見てびっくりしたのです。主人は猫の具合が少し悪いくらいだと病院に行くのを反対するので私が抱いて病院に連れて行っていました。この時は主人が積極的に病院に連れて行ってくれました。それほどお腹の傷は深かったのです。タマは気が優しくて勇気がありミケの一大事を私に知らせに来るほど機転の利く猫さんだったのです。
◆模範母猫 ミミ◆
母猫ミミが最初に産んだ長寿猫のみーこは12月4日に登場した猫さんに少し似ていると思います。12月5日登場の「女系家族」のミケ猫さんは在りし日のミミを彷彿とさせるものがあります。二回目の出産をする前のお話です。4世帯のアパート住まいでミミはいつも2階の陽の当たる場所で昼寝をしていたようです。ある時2階の女性の方から「ミミに手を噛まれて血が出た」と言われ驚いて2階に行くと「しょうけ(竹製のざる)」の中でミミは昼寝をしていました。再度怒られたミミは2階から私の目の前で飛び降りたのです。私がびっくりして下を見るとミミはコンクリートの上で何事も無かったかのようにしていましたが私としては心配だったのです。二回目(ミケとタマがお腹にいた)の妊娠中だったからです。ミミはただ口で怒られただけでは他人に噛み付いたりはしない猫さんだったと今でも思っているのです。ミミは妊娠中だったので気が立っていたのでしょう。その頃私は新聞配達をしてから会社に行っていましたのでよく休日は昼寝をしていました。その時はミミも顔を私の顔の方に向けて胸の上で一緒に昼寝をしたものでした。主人に懐かなかったミミですが「おとなしめのおしとやか母さんだった」と言わせたミミの事を私は「本当に優しくて模範的な母猫さん」だったと思うのです。
◆仲良し親子◆
親猫ミミが二回目に産んだミケは、前にお話しましたようにお腹に大きな傷を負ったことがありました。ミケはもう一回お腹に傷を負う事件があったのです。アパートのドアのガラスが割れていたのを知りながら私も主人もそのままにして外出をした事があったのです。いつもトイレの窓を少し開けていたので、まさか入り口のドアの割れたガラス窓をから外に出るとは思っても見なかったのです。二人が帰ったとき、ミケはお腹から血を流して部屋の中に居たので直ぐに主人と病院に連れて行きました。私は傷口を舐めないように段ボール紙に「傷口を舐めないように段ボール紙を首に掛けています。はずさないで下さいね」と書いたものを傷が良くなるまで首に掛けてやりました。ミケは傷口からばい菌が入り手が大きく晴れ上がっているのでした。前回お話した「ミミが手を噛んだ」二階の女性の方は、一人暮らしだったので時間があると二階の手すりにもたれて、「世間を眺めておられた」のです。ある時私に「どうして猫は時間が分かるの。いつも夕方になると道路の方を向いて三匹が並んで帰りを待っている」と言われたのです。アパートの前は駐車場です。二人とも同じ会社に勤めていましたので一緒に帰ってくると確かにミミ・ミケ・タマは駐車場に居ましたが、直接三匹が並んでいるのをこの目で見たことはなかったのです。
◆三回目の出産◆
まだミミが娘時代のお話です。
この頃私は綿入りの半纏を着ていていつもまだ生後半年のミミをふところに入れていたのです。この大雪が降った日曜日、私はミミを積もった雪の上を歩かせたのです。でも寒かったのでミミはどのくらい歩いたでしょうか。足跡が可愛かったのだけは覚えているのですが。この時主人は外で雪だるまを作っていたのです。歴代の猫さんの中で雪の上を歩かせたのはミミだけでした。
親猫ミミ、返品猫のミケ、居残り猫のタマが同時に出産をしたら直ぐに20匹くらいになると思った私は、まずミミに避妊手術を受けさせようと決意し、主人に言ったところが「もう一度だけ ミミに子供を産ませよう」と言ったのです。私はミミの出産は一度だけと思っていたのですが三回になったのです。主人に懐かなかったミミですが「ミミの母猫さん振りが如何に良かったか」の証明なのです。ミミは三回目もメス猫ばかり4匹産んだのです。2匹は早世し、貰い手が無かった一匹はグレ、もう一匹はミーと呼んでいました。グレは3ヶ月くらいになった時風邪にかかり入院させましたが入院3日でこの世を去りました。引き取りに行ったのですがグレが悪性の風邪による死だった為他の猫さんに影響が出ると言われ「引取りを拒否された」のでした。親猫ミミ、二回目のミケとタマそして三回目のミーとの生活がしばらく続いたのです。
◆四ヵ月半で貰われていった「ミー」◆
三回目に生まれた中で一匹だけ生き残ったミーは親猫ミミに似ないものだと思っていました。今まで生まれた猫さんの中で一番エピソードがなかった猫さんなのです。このミーは一生私が面倒を見ようと思っていた時、近所の方が「子猫はいませんか」と訪ねて見えたのです。当時は私のうちに電話で「子猫はいませんか」と言う問い合わせが数件かかったことがありました。ミケが三ヵ月半で返品されたのですからミーはとても無理だと思ったのです。訪ねて見えた仲介をしてくださる方に「ミーはもう四ヵ月半になるので今からでは懐かないでしょう」と言ったのですが「どうしても欲しい」と言われたので、主人とスーパーニコニコ堂の前に連れて行ったのです。今までおとなしかったミーが大暴れをして私は引っ掻かれて血だらけになったのですが無事に引渡しは終わったのでした。主人が「ミーが大暴れをするとは想像できなかった」と言った言葉が印象的でした。私はミーが家にいた時そそうをしたことは無かったのですが心配になり次の日にミー達が使っていた砂トイレの砂を持って行ったところ、そそうは無いと言うことで安心したのです。同じ町内だったので2、3度ミーの様子を見に行ったものでした。ミーは私と離れるのが嫌だったので引っ掻いたと思うと私は嬉しくなったのでした。
◆返品猫ミケの出産◆
親猫ミミの出産と同時にミケは妊娠したのです。避妊手術を受けさせたのはタマが最初でした。タマは手術後だと言うのに元気よく跳んだりして傷口から血をポタポタ落ちしながら遊んでいました。犬猫病院が休日で夜間に開いている薬局もなく、私が新聞配達をしていた外科病院で包帯を分けていただきました。親猫ミミが産んだ猫の中で一番利発でミケのことを「大学卒猫」とまで言わせたほどの猫でした。そのミケが母親失格猫で子育てが出来ないのです。三匹産んだ中の二匹は風邪で早世し残る一匹を育てようとしないのです。模範母猫だったミミも知らぬ振りをしていたのです。顔の可愛かったこの猫には、私に子どもが出来たらつけようと考えていたヒロミと名付けました。主人と私で哺乳瓶でミルクを飲ませオシッコはティッシュで叩いて出させ砂トイレの躾もしたのですがどうしても覚えてくれなかったのです。2階の方からは苦情が絶えませんでした。でもこの時の体験が後の「母猫さんが子猫を移動させる時に段ポールの中に置き忘れた140グラムの子猫を成猫に育てた」時に生かされたのでした。この猫さんが「二代目ミミ」なのです。猫さんには鈴つきの首輪をしていたのです。一匹だったら可愛い音だったのかもしれませんが何しろミミ、ミケ、タマ、ミー、ヒロミと揃って2階に上がって行くのでとうとう「鈴つき首輪禁止令」が出てしまったのです。
◆小さいながらも力の限り闘った「ミーちゃん」 その1◆
ちょうど三年前の今頃でした。りりーのお散歩は私が行くのですが、その日の夕方のお散歩は、主人が「自転車でりりーを連れて行く」と言って家を出ました。その日のお散歩コースは、川を挟んで畑と田んぼがあり、橋から橋までを一周すると2キロくらいの距離なのです。家に帰り着いた主人は「捨て猫がいた」と言ったのですが、何だか様子が変なのです。「どうしたの?」と尋ねると、「猫の側に蛇の首があった」と言うのです。「どんな猫なの?」と尋ねたのですが、自分の目で確めたいと思って場所を聞き、バイクで見に行ったのです。そこには、人懐っこい中猫さんと血の付いた蛇の首があったのです。この小さな猫さんが蛇に立ち向かい、しとめ、お腹を満たしていたのかと思うとたまらない気持になり、猫さんにミーちゃんと名前をつけてその日は帰りました。あくる日りりーを連れて、猫用缶詰・ドライフードを持って、その場所でミーちゃんと呼ぶと、草むらから出てきて、缶詰を美味しそうに食べたのです。私は座り込んでミーちゃんが食べ終わるのを見届けて帰ってくるのが日課となりました。雨の日は私だけが行きました。私が行けない時は主人がミーちゃんのエサやりに通ったのです。そのうちに、朝ウォーキングをしていた若い女性が、ポケットにいりこやドライフードを入れて持って来てくださるようになったのです。猫がいるところに一番近い家のお孫さんも、学校から帰ってくるとミーちゃんのことを心配して見に来てくださいました。少し慣れてくると、私がずーっと離れたところから大きな声で歌を歌いながらミーちゃんの近くまで来ると、草むらから道路に出て私めがけて走ってくるのがミーちゃんの日課となったのです。別れる時は、道路の途中の一定の距離で止まってお見送りをしてくれるのでした。私とりりーが一緒にミーちゃんのエサやりに来ていても、気になるのか主人も暇があるとミーちゃんを見に来るのでした。私の家まで直線距離で500メートルくらいなので、家までエサを食べに来てくれればいいと思ったのですが、家に姿を見せたことはありませんでした。
◆小さいながらも力の限り闘った「ミーちゃん」その2◆
幸せな日々はそんなに長く続くものではありません。ミーちゃんのところに一番近いところの方から「今日はミーちゃんが姿を見せない。奥さん(私のこと)が呼んだら出てくるかもしれない」と言う電話が掛かってきたのです。私は急いで駆けつけて、探す範囲を広げて「ミーちゃん」と声を限りに呼んで探しましたが、二度と会うことはありませんでした。あの首から想像すれば大きな蛇だったに違いありません。あの小さな身体でのた打ち回る蛇を相手に闘い、食をつなぎ、その後は可愛らしい姿だけを見せたあの猫さんの必死さを思うにつけ、涙なしには語れません。それから一年間、私はりりーを連れて缶きり・缶詰・お水を入れた袋を持ち歩きこのコースを重点的にお散歩をしたのです。いつか姿を見せてくれるかも知れないという気がしていたのです。そして缶きり一つを自宅に残していたのが見当たらないのです。探したら主人の自転車のかごの中に缶詰と一緒に缶きりが入れてあったのです。主人もいつか会えるのを期待していたのでしょう。その後ミーちゃんのことはあまりにも辛くて主人も私も話題にしたことは無かったのです。
つづく。
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