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●風水別館 Annex version 2018

サーモ付き風呂シャワー水栓水漏れ2018のナゾ
いき○りステーキの収益性のナゾ
ドリップバッグでアロマの高いコーヒーの作り方のナゾ(失敗編)
新春特別企画 Webmasterの邪馬台国考のナゾ(その2 卑弥呼の墓はどこか編)


サーモ付き風呂シャワー水栓水漏れ2018のナゾ

Webmasterはご機嫌斜めである。

理由は、欠陥シャワー水栓にお付き合いさせられているからだ。今回またしてもシャワーとカランの切り替え栓が不良となり漏れれてきたのである。

過去のスレッドを見ると、

サーモ付き風呂シャワー水栓水漏れのナゾ
続サーモ付き風呂シャワー水栓水漏れのナゾ(部品交換編)

1998年に記載があった。当時おそらく関係者からと思われる人間から”記載を控えてくれないか?”、というメールが来た。”すぐにダメになるような水栓はメーカーの改良を促すために敢えて記載は変えない”、と答えた記憶がある。その関係者に、”記載に何か間違いがあるのか?”と返事したところ、”は問題は無い”との返事を貰っている。

さて、普通の水栓のパッキングはコマと呼ばれる部ついてる。コマは回転するハンドルの先にはまっているが独立した部品になっている。その理由はハンドルをひねったときにコマは回転せずに弁座とは擦れないようになっているのである。つまりコマがハンドルの回転を逃がすのだ。古くからある水コマも単純な構造に見えて実はノウハウの結晶なのだ。

Webmasterがこの家に越してきたのは1992年なので、わずか6年少々で水洗のパッキングは不良になった。ちなみに、となりある風呂に水を入れる水栓は通常は使っていないが(給湯器の自動お湯張りや追い炊きを使うから)、先日漏りだしてパッキングを裏返してまだ使っている。

その水栓が急激に漏り出した理由は、コマが錆びてハンドルと一体となって回転するようになったからだ。そうするとパッキングが弁座と擦れて急速に劣化する。いずれにせよ、そのパッキングは24年持った。コマは錆びを落として少量の真空グレードのシリコングリースを塗って回転しないように対処した。

一方、この切り替え弁はその後は平均6年半毎で不良となり交換しており、何と今回が4個目である。原因は設計が悪いために先端のパッキングが回転して弁座と擦れ摩耗して漏れるのである。1998年に交換した品は若干の改良はされていたが十分で無かったのである。巷には安いサーモ付きシャワー水栓は売っているのだが、いつメーカーが改良するか見定めるために、敢えて水栓自体は変えていないのである。

普通の水栓のパッキングはコマと呼ばれる部品がある。コマは回転するハンドルの先に独立してついているが、その理由はハンドルをひねったときにコマは回転せずに弁座とは擦れないようになっているのである。つまりコマがハンドルの回転を逃がすのである。古くからある水栓も単純に見えてノウハウの結晶なのだ。

多くの水栓のパッキングが早期に摩耗するとすれば、それはハンドルと一緒に回転しながら弁座に当たるからだ。このため、多くの水栓メーカーはパッキングが回転せずに弁座に当たるように、長年改良したのである。

見ると、この水洗も先端のパッキングを完全に回転しないように改良することは可能に見える。コマに凸部を作り、それがケージと噛み合い回転しないようにすればよいのだ。そうすれば日本中のユーザーは怠惰なメーカーのために無用な水漏れに悩むことは無かっただろう

今回は、出てきた従業員に苦情を言ってみた。

”わが家のこの水栓はほぼ6年半毎に交換して今回が4回目である。シャワー水洗は台所と違って一日中何度も捻るわけではないのに、たった6年で摩耗するのは設計に問題があるのでは無いか?"

従業員は答えた。

”水質や使い方もあるから。お宅のは福○市の水道ですか?"

”そうだ。こんなにしょっちゅう交換を要するなら、部品は業販価格で売るべきだ。6年毎にだめになって今回4個目だ。”

”それはだめだ。定価でしか売れない。”

というわけで、仕方なく定価で買ってきた。もちろん、ネットでは若干の値引きをしてい売っているがあえて従業員に苦情を伝えるためにわざわざ営業所に出向いたのである。

このメーカーが改良もせず済ませているので、次回は自分でパッキングを切って製作したいと思う。ハンダつけで凸部を作ってパッキングが回転しないような細工も考えている。

本社に苦情が届いているかどうか解らないが、おそらく通常のユーザーは業者を呼んでパッキングを交換させるが、すぐに不良になるなら諦めて他の製品に付け替えさせるだろう。業者を呼んで4回パッキングを交換させれば、新しいサーモシャワー水洗に交換するより高くつくであろう。

いずれにせよ、個人的にはパッキングがダメになる製品はお勧めできない。確かに1998年の水栓には改良の形跡があった。つまりメーカーは問題を認識しているのだが、その後改良を怠って放置しているのである。

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いき○りステーキの収益性のナゾ

Webmasterはグルメで無い。それは家訓でグルメ行為が禁じられているからだ。しかし友人には本物のグルメが多い。その一食に数万円をかけるような複数のグルメが、いき○りステーキにハマっていると言っていた。グルメに疎いwebmasterもこれは異常事態だと感じた。

なんでも、肉は値段からは信じられないほど柔らかく、それを3kg食してゴールドカードを貰えば、毎回黒烏龍茶がタダになるとか、いろいろな特典があるという。

Webmaseterも早速福岡天神の店舗を訪れた。行列が予想されたのでピークをはずし午後3時に行ったのだが、やはり数名の行列ができていた。15分程度待って入店できたが、最初に肉の量を決めるシステムは興味深かった。肉は値段を考えると柔らかくて食べやすい。

以来通うこと数回、数カ所の店をまわり、お正月までにゴールドカードを獲得することができた。課金は先払いと後払いの店があることから、フランチャイズによって考え方が異なるのだろう。

当初、このビジネスには追従者がすぐ現れるであろうと思った。すでに多くのモールに出店しているが、そのモールの主が自社で類似した店舗を出しているところもあるが数は多くない。

それだけでなく、既存の外食チェーンがフランチャイズとして加入していることが解った。自ら新たにチェーンを立ち上げるよりは、ロイヤルティーを払っても早期に参入してノウハウを吸収したほうがベターという考えなのだろうか

会社は驚くべきペースで成長しているようなので、いったいどのくらい儲かるのか考えてみることにした。

まず、い○なりステーキ本部はFC加入資料として、

開業資金(加入、立地調査、設計監理、保証金、内装工事、厨房工事、電磁調理器、ライスロボ、レジ、秤、開業費、教育研修費)
合計      4482万
ロイヤルティー 3%

売上高月  1800万   2400万     3000万(3パターン)
償却前利益 198万(11%) 324万(13.5%)  462万(15.4%)

だと言う。果たしてこの数字は妥当だろうか?webmasterが独自の取材によって裏をとってみよう。

まず店の規模だが、一番込み合う天神店は29席(椅子席8席)、小倉魚町店は38席(椅子席34席)筑紫野店は席数48席(椅子席36席)、光の森店は43席(椅子席33席)、マリノア店は58席(全席椅子席)であった。住宅地のモールにある店は大型で椅子席が多い。ただし席数があっても従業員の数のため全てが利用されていないようなので、ここでは1店を35席と想定した。

周囲が何を食しているかを観察したところ、日土祝は肉量り売りが多いことから平均客単価を2400円+TAXと想定した。平日の昼食は定量のワイルドステーキが多いことから平均客単位を1600円+TAXと想定した。

客の平均滞在時間は繁華街の立ち食い席が多い店では25分程度、椅子席の多い郊外店では35分程度であることからラフな推定として平均30分と想定した。

営業時間は通常は11時-23時間であるが、空いている時間もあるので、キャパが満たされる確率を土日祝日は営業時間の66%、平日は50%と推定した。このあたりの推定値には根拠が無いが、あくまでベースとしての推定である。

その前提で月商を推定すると、

(2400円x35席x2回/時x8hrx5日+1600円x35席x2回/時x6hrx25日)=2352万/月

ラフな推定ではあるが、FC本部の資料の月商2400万のケースに近いので、意外や妥当な推定なのだろう。

次に、他の外食チェーンの月商と償却前利益を比較してみる。各FC本部がモデル店舗として提供している数字を拾うと、

モ○バーガー  月商700万、営業利益12%(84万円)ロイヤリティ不明
ウェン○ィーズ 月商1000万、営業利益12%(125万円)ロイヤリティ売上の4%

FC本部の資料によると、○きなりステーキのロイヤルティーは3%であるという。外食産業では通常4%程度と言われているので、ロイヤルティーは低めである反面、月商や利益は3倍近いので、商売としてはかなり旨味があるようだ。

もちろん、立ち上げは当然ながら別途必要で、開業資金として場所にもよるが、モール内店舗の場合は2500万程度、ロードサイド店の場合は5000万前後はかかるであろう。

基本的に事業を立ち上げるとすれば、初期投資を何年で回収できるかが目安となる。アパート経営などの不動産などでは回収に10-15年を要するのが普通である。

業界の一般的な数字として、FCとして営業の全てを全て本部にお任せするとして、商売がうまくいった場合、出資者は開業資金を3−8年で回収できるモデルのようである。不動産に比べると回収は速いが、それは商売がうまくいかないリスクがあるからである。

一方、FC本部の利益としては、立ち上げ費用の一部の他に、毎月ロイヤリティーと店が仕入れる原材料からの利益もある。通常、原材料費は40%-45%であり、その10-15%とロイヤリティーと合わせてFC本部は月商の約10%の利益、というのが相場らしい。

ただし、とある外食産業アドバイザーは、いき○りステーキの材料費率は業界水準よりかなり高いと言っていた。実際、FC本部の資料によれば、材料費は55%に達するという。一方、調理器具や什器類の経費はそこいらのハンバーグ屋とあまり変わらないので、客単価が高いことから高い材料費の影響はかなり薄められているのだろう。

つまり、材料費が高くても、その10%がFC本部の利益とすれば、ロイヤルティーが3%と低くてもFC本部にはやはり10%程度の利益があると考えられる。

少なくとも、複数の既存の外食チェーンがいき○りステーキにFCとしてに加入しているところから、店の利益は通常の外食チェーンより厚いのであろう。やはり、高い客単価と回転がカギなのである。

以上の推定につぐ推定から、いき○りステーキの1店舗(中型店)の年商は3億弱、FC出資者の利潤はその13.5%で、開業資金の回収は3−4年、FC本部の収入は約10%ではないか、という根拠があやしい数字が出来上がった。

ただし、このまま順当に事業が拡大するかどうかは解らない。というのは、他の外食チェーンも指を加えて見ているわけではないからだ。

比較的高価格であっても、十分量の肉を出し、客が回転すれば適度な値段で利潤が出る。客も肉でお腹がいっぱいになれれば若干高くてもリピートしてくる。その際、店で座ってゆっくりでなくてもかまわない、という公式が明らかになったからである。

つまり、ステーキ安売り外食はブルーオーシャンでは無く、レッドオーシャンになったのだ。い○なりステーキの商売の要素を取り入れた同業他社がパイを奪い合うことになる

また、高級ステーキ店は今までA4A5等級のサシが入った黒毛和牛を高く提供してきた。しかし、サシ入りがベストであるとはWebmasterは思わないし、おそらく多くの人はそんな肉を欲していない。適当な品質の肉をうまく焼けば十分おいしく提供できる、ということも公知となったのである。とすれば、高級ステーキ店も目線を下に向けて質より量で攻めてくる可能性もある

というわけで、一つの都道府県に数店舗になった時点で商売の伸びは確実に鈍化するであろう。おそらく1−2年のスパンでそうなると思われる。

しかしながら、そうなったときにはより幅広い店でおいしい肉を安く、たくさん食えるようになっているので、消費者にとって悪い話では無いと思う

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ドリップバッグでアロマの高いコーヒーの作り方のナゾ(失敗編)

今回は、

   □ペーパードリップでアロマの高いコーヒーの作り方のナゾ

の続編である。皆様の中にはこうおっしゃるい方もおられるかも知れない。

「解った解った。ペーパーを十分湯通しすればいいだね。しかしオレはドリッパーをセットするのが面倒くさいので、普段はドリップバックを使っているんだが、その時はどうするんだ?

Webmasterもそのご意見は良く理解できる。巷にはドリップバッグがあふれているし、相当高級なコーヒー豆店でさえ自慢の豆をドリップバッグに詰めたものを売っている。

さて前回の結果は、十分に湯通ししないと、乾いたペーパーが油分と最初に出てくるおいしい部分を吸ってしまうということである。しかしドリップバッグだと、ペーパーだけ湯通しすることができないではないか?

しばし熟考して次のような実験を行ってみた。結果は後述するが、若干予想とは異なる結果になった。

まず湯音は92度とした。外気温が20度なのでコップもお湯で温めておいた。そして、左側にはお湯を満たしてバッグを開封せずにそのまま漬けて、右は通常のようにセットして淹れた。左側ではバッグのペーパー材が最初にお湯に触れるので、コーヒー豆の油分や抽出物がロスしにくいのではないか、というのが当初の目論見であった。

通常、コーヒーバッグの豆はレギュラーコーヒーの豆より品質が落ちる。そこで少しでも油分が多く出るように、我が家に存在するコーヒーバッグのなかで、「標高4500メートル以上のジャマイカブルーマウンテンエリアの中でも特に厳選されたつぶよりの豆だけをローストした」と称するものを使った。webmasterはメーカーの説明を100%鵜呑みにするほどナイーブでは無いが、安物のバッグよりは油分は多いようであった。

右側はおおむね1分で抽出が終わったが、左側は漬けたままなので薄いままである。少々揺らしても依然として薄いので4分間放置し、その後5回左右に揺すり5回上下させたところほぼ同じ濃度となったのでバッグを引き上げた。

さて照明にかざしてみて表面に浮いた油分に差があるだろうか?

油分を強調するために画像処理を施してあるが、「うーん、あんまり違わないなあ」

左は揺れ動かしたので模様がついているが、しばらく放置してもペーパー度立派の時のような大差は無い印象だった。匂いをかいでみても大差無い。あるいは予め商用のコーヒーの香料で香りがつけてあるのかも知れない。

原因としては、通常のドリッパー用のペーパーより豆の量あたりのペーパー材の面積が圧倒的に少ないことがある。そして少ない面積で透過させ粉で目詰りしにくいように透過性の高いペーパーが使われているのだろう。

ありていに言えば、今回の実験は失敗ということだ。

一つの収穫は、ティーバッグのような杜撰な淹れ方をしても、時間をかければそれなりにコーヒーは抽出できるという事だ。

我々はすぐ、サイホン、ネルドリップ、ペーパードリップ、フレンチプレスなさまざまな道具を駆使して然るべき儀式をもって淹れるが、コーヒー自体は豆の質、焙煎方法、そしてお湯の温度と抽出時間でかなりの部分が決まっていて、その他の要素は単なる儀式に過ぎないのかも知れない。

然るべき茶室で儀式に則って淹れた薄茶が、台所でポットの湯で淹れたものとどれほど違うのかはwebmasterは知らない。しかし儀式に凝るのは人類の人類たる所以であり、クリスマスも正月も七五三も冠婚葬祭すべてが儀式を行ってけじめをつける行為が一定の価値を持つのである

あーあー、高いコーヒーバッグを一つ無駄にしてしまったと思いながらすすってみると、左側のコーヒーは甘いのであった。あれ、と思って右側を飲むとやはりコーヒー特有の苦味がある。再度左側をすすると、やはり明らかに甘い

考えるに、やはり豆に触れるお湯の温度と抽出時間の積分値が関係するものと思われる。予め温めていたとは言え、カップの湯温はどんどん低くなり、またお湯はよりゆっくり粉の中に浸透して、結果的に低温で長い抽出となる。

一方、右のカップの豆には常に新しい92度のお湯が注ぎ足されるので、高い温度のために苦味が出てきて、それが豆の中を通る間に一部は吸収されるもののある程度出てきてしまう。もちろん、ある程度の苦味もコーヒーの重要な要素と言えないこともない。

今回のもう一つの収穫は、左のような杜撰な淹れ方でも、時間をかければ甘いコーヒーが出来るということだ。それは煎茶の玉露の淹れ方とも共通するものだろう。単に甘いコーヒーを飲みたいなら、そもそもドリップなんて儀式は不要なのかも知れない。試しに湯温を95度に上げると、若干の苦味が味わえるようになる。

缶コーヒーのメーカーでは、お湯に豆を直接投入して抽出し濾過する「ボイル」という手法で大量のコーヒーを作っている。下の動画を見て欲しい。

これでも湯温と抽出時間さえ注意すればそれなりに美味しいコーヒーができる。注ぎ方にいろいろな難しい条件が加わる神経質な円錐形の道具と紙を使うよりはよっぽど安定して抽出できるのだ。

コーヒーには若干の苦味や雑味が必要と考える方は、右のようにきちんと淹れるべきであるが、時間が無い場合はドブ漬けで放置してもそれなりに楽しめるということである

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Webmasterの邪馬台国考のナゾ(その2卑弥呼の墓はどこか編)

以前、

   □Webmasterの邪馬台国考のナゾ

なるトピックを書いた。その骨子は邪馬台国は北九州(おそらく筑後平野)にあり、東遷し寒冷化という気候変動に苦しむ近畿の倭人国家を侵略し、その後急速に同化して大和朝廷が成立した、という説である。

別に東遷説は珍しいものではなく、小説や漫画では大半がこの説をとっているが、東遷の原因を寒冷化という気候変動に求めた点がユニークで新しいと思っている。

ただしwebmasterのなかでは、伊都国の平原遺跡から出土し「八咫の鏡」との関連が問題になる直径46cmの大型内行花文鏡及び大量の装飾品と邪馬台国の関係が整理できていなかった

平原遺跡は鏡40面と数千点に及ぶ装飾品(そのすべてが国宝指定)から解るように、太陽信仰を司る女王であった可能性が高い。しかも三国志魏志倭人伝にある卑弥呼は「卑彌呼 事鬼道 能惑衆」とあるようにシャーマンでもあった。

このことから膨大な副葬品が出土した平原遺跡が卑弥呼の墓であるとする研究者もいるが、平原遺跡は「卑彌呼以死 大作家 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 」の径が百歩(多くの説では約30m)の墓としては明らかに小さすぎる。

というわけで、某月某日、久留米近傍で卑弥呼の墓とする説がある祇園山古墳を訪問した。

古墳は九州道で久留米インターから熊本方面に向かう左カーブを描く坂の途中にある。古墳に行くには久留米インターを降りて車で数分の距離であり、高速道路からも一瞬古墳とその立て看板を見ることができる(下図)。祇園山古墳はなぜかwikiもなく有名とは言いかねる古墳だが、九州道が作られるときに各方面からの働きかけで破壊を免れた古墳である。

古墳は方墳で、その一片は約24m、対角線は33m、高さは6mで二重の石積みで囲まれたていて、その下部は円墳となっている(下図参照)、小高い丘の上にあるので巨大では無いもののかなり目立つ古墳である。また周辺から甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基、箱式石棺7基、竪穴式石室13基、不明7基などが確認されており、魏志倭人伝の百余人の殉葬という記載とも一致する。

石室が古墳の頂点にあり古墳時代の主流と様式が異なるなど、年代的にも邪馬台国の時期と一致する。北北東から南南西に向いた石室には木槨がなく、魏志倭人伝にある「其死有棺無槨封土作冢」と一致し、卑弥呼の墓として規模様式ともに矛盾が無い。周辺の甕棺墓から出土した画文帯神獣鏡片には諸説があるが石室から出土したものではなく、祇園山古墳が魏志倭人伝で描写された卑弥呼の墓と異なる材料は事実上無いのだ。

ただし、小賢しい議論は全て忘れて、まずご自分で一度古墳の頂点に立って周囲を見渡してみるべきだろう。立地を見ればこの古墳が卑弥呼の墓であってもおかしくないと解るであろう。

見ると、山が一番低い所が太宰府でその先は博多(奴国)がある。中央の一番高い所が背振山であり、その麓には吉野ヶ里遺跡が、その向こうには糸島がある。ここからは筑後平野を西は大牟田付近まで、東は朝倉付近まで見渡すことができ、そして石棺は広大な平野と平行して置かれている

写真(右上)では九州道から見える祇園山古墳を示している。国家事業である高速道路がこの古墳を避けるために曲げられていることが良くわかるだろう。関係者の努力によって旧道路公団にそれだけの配慮をさせるに足る何らかのパワーがこの古墳にある、ということだ。

次に地図を見て欲しい。三角形を繋げて蝶形をしたのが筑後平野である。弥生時代には海が内陸まであったので、南西側の三角形はこれより小さく、まさに左右対称な蝶形をしていただろう。

祇園山古墳は蝶形の付け根の高良山から北西に突出した丘の上にあり、筑後平野のほぼ全てを俯瞰することができる。この地図を見たら、この場所以外にこれほどの眺望をもった場所が無いということがわかる。その立地こそがこの古墳が卑弥呼の墓と考える一番の理由であり、一度ご自分の目で見れば納得が行くのではないか

もしあなたが王なら、墳墓は領地の中心で領地の全てが見える位置を選ぶのでは無いか?また自分の出身地をその眺望の中央に置くのではないか?

さすれば祇園山古墳は、立地からして真に筑後平野の覇者が祀られていたことは間違いないし、時代的には卑弥呼の墓である可能性が高い。石室は古墳の頂点にあり盗掘のために副葬品は失われているが、おそらく平原遺跡に劣らない豪華なものが副葬されていたであろう。

小説家松本清張は卑弥呼とは日向(ひむか)であるとする。伊都国に向かう峠は日向峠であり、卑弥呼は伊都国出身の可能性が高い。例の平原遺跡の石棺と2本の柱は日向峠の方向を向いていた。祇園山古墳周囲から出た1号甕棺は副葬品から卑弥呼に仕えていた巫女のものと考えられているが、その甕棺は伊都国の様式である。

さらに、「復立卑彌呼宗女壹與」とある卑弥呼の後継者の壹與は「ゐ(い)と」と読む説がある。卑弥呼の宗女とあるので壹與も卑弥呼と同じ血筋で伊都国出身だったのだろう

少なくとも卑弥呼が魏に使いを送り、また壹與が晋に使いを送る間に邪馬台国の位置が変化したという記述は無いので、邪馬台国が東遷するとすれば壹與の治世の後半以降のであろう。その後は空白の150年が続くので日本にも中国にも記録が無いが、好太王碑文によれば4世紀末から5世紀にかけて日本は朝鮮半島で活発に活動していたことがわかっている。

以上のことから、Webmasterは祇園山古墳こそが卑弥呼の墓であると考える。それは魏志倭人伝の記述と矛盾する点が無く、古墳の頂点からは筑後平野全体を俯瞰でき、伊都国は眺望の中央の方角にある。祇園山古墳にも平原遺跡に匹敵する豪華な副葬品があったはずだが、古墳の頂点に石室が置かれたために盗掘にあった。

そして、伊都国の平原遺跡は壹與の墓と考える。おそらく壹與の治世の後期には邪馬台国は近畿に東遷したと考えるが、老齢となった壹與は北九州に留まり、最後は出身地の伊都国に葬られたとwebmasterは考える。そうすれば、伊都国の平原遺跡が祇園山古墳と同じ方墳なのも説明がつく。

そして墳墓は盗掘を避けたために、出土品すべてが国宝に指定されるほど豪華な副葬品があるにもかかわらず、小ぶりのものとしたのであろう。その作戦は見事成功し、20世紀になるまで5枚もの大型内行花文鏡をはじめとした部大な副葬品が盗掘されずに残ったのであろう。

そして、平原遺跡から出土したひときわ大きい大型内行花文鏡、剣、曲玉と同じ起源のものが三種の神器として近畿に遷り、天皇家に伝わったとすれば、すべてが矛盾無く説明できると考えるのだが、いかがであろうか。

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