山本の主張

BACK  コラムリストへ

2020年6月18日 コロナ第二波の前になすべきこと

わが国のコロナ第一波がなんとか小康状態を得た現在、第二波の前になすべきことは何か考えておかねばならない。第一波が、論理的に明晰な対策があったわけでもないのに他国より被害が小さかったことをもってこれまでのPCR抑制対策の正当性を主張する向きもあるが、非論理もはなはだしい。第二波になす対策は、第一波での反省に基づき立てねばならない。この意味から、@検査体制をどうするか A感染者管理と医療体制の問題 Bわが国の感染率の低さ を考察したい。

@    検査体制について

PCR検査能力が極めて低かったことが今回の第一波で最大の問題になった部分である。基礎的検査力が劣っていたのは仕方がない。MERSの経験と細菌戦対策として計画されていた韓国のように戦略的な準備がわが国はほぼ皆無だった(確かにこのことは問題であるが)からだ。わが国は特にPCR検査が出来ない国としては世界に突出した存在であった。もちろん世界の各国も出発点は同様の状態であったが、必死で検査体制の拡充に取り組み、未開発国を除きその多くが拡充に成功した。しかしわが国のみ、その努力を怠り、世界でも有数の検査力の低い国となった。その大きな原因はわが国の感染関係の学会が誤った認識に凝り固まっていたことにある。軽症者にPCR検査を推奨しないなどと世界中が仰天する方針を、奇妙なことを言うことがプロの証であるとでも思ったのか、勘違いして堂々と主張するなどは、ほとんどブラックジョークであった。この考えが正しく成立するのは、軽症者の保有するウイルスは、様々な変異を有するコロナウイルスの中において、例外的に弱毒であるという場合のみである。軽症者は弱毒ウイルスにのみ罹患しているという事実があれば、弱毒ウイルスを積極的に社会に蔓延させることにより強毒ウイルスを排除することが可能であるし、いわゆる集団免疫による社会防衛論も成立する。しかし残念なことに、そのような状況は推定されていない。確かにウイルスには多様な変異を有するというが、概ね80%以上存在する軽症者はウイルスの毒性の差によるものではなく、受け側の反応性にもっぱら依存するらしいことが既に分かってきている。そのため年齢差が生じ、また基礎疾患による差が発生するのである。しかし、そのようなことが判明したあとも感染関係学会は考えを変えようとしていない。PCRとはいえたかが臨床検査である。検査できる手段は多ければよいに決まっている。少ない方がよいなどというのは通常ありえない。偽陰性や偽陽性のことを述べる向きもあるが、あやしければ繰り返せば正解にたどり着く。インフルエンザでも初日陰性を絶対視するような臨床医はいない。まるで真っ暗な部屋では、懐中電灯は部屋すべてを明るくすることができないからつけない方がよいというような議論である。日本の感染関係者は本当に現場で臨床医療をしてきたのか疑問があるとさえいえる。PCR以外の方法、例えばLAMP法での拡充や、簡易検査でよいから抗原検査キットを末端の医療機関や施設に配り、熱発者には全て実施できる準備こそが必要である。それがクラスターを形成させない最大の手段なのだ。検査など単なる手段なのだから、しないほうがいいなどと倒錯した議論をすべきではない。今は幸いインフルエンザも発生していないが、次の冬はインフルエンザとコロナのダブルアウトブレイクが起こる可能性がある。その鑑別ができないと医療崩壊は一挙に現実に変わる。

 A    感染者管理と医療供給の問題

これは、今のうちに重症者医療施設、中等症管理施設、軽症者経過観察施設を作っておかねばならないということだ。もし第二波が来なかったら無駄になるではないかと思われる向きは、保険の一つと考えてほしい。使わなかったら大万歳なのである。少なくとも各県にその県の規模に応じてこれらを作っておかないと、既存の病院や施設が壊滅する。小康状態の今がある意味ラストチャンスなのである。ぼんやりとこれらの準備のないままに第二波を迎えることになれば、無為無策の謗りを免れない。医療人材供給についても議論しておかねばならない。わが国は中国のような軍の医療スタッフが豊富にいるわけではないから、その地域の既存の病院や施設から一定の割合で人材を出してもらうようにし、例えば当該施設で一週間頑張ったら3週間は外すとかの交代制を維持するのだ。死ぬまで不眠不休で出撃させられた帝国海軍の方法にたいして、交代制で戦った米軍の方法をとるのだ。現状では帝国海軍方式である。これでは第二波で医療崩壊を起こす。多くの医療関係者にとって厳しい状況となるが、第二波は非常時である。医療関係者それぞれに一定頑張ってもらわねば病院だけでなく地域が崩壊する。

 Bなぜわが国の第一波の被害が小さかったか

感染者からの死亡者の率を見ると、わが国は決して死亡率が低いわけではない。5%以上の感染者死亡率があることから、むしろ医療崩壊した国と率そのものはあまり変わらない。にもかかわらず、死亡者数の低さは、やはり感染率の低さに起因しているのだろう。最近の大規模抗体調査によりそのことが証明された。99%以上の国民がまだ未感染なのだ。この理由としてこれまで手洗いなどの清潔習慣や、マスク使用率の高さ、BCG説、既存感染説(有史以前を含め)などいろいろ出されたがさまざまな反証もあり有力な説は証明されていない。マスク装着率の高さは、感染初期に超有名な芸能人のコロナ罹患死亡のインパクトが大きかったことが言えるだろう。あの事実をもって、単なる風邪のややひどい程度などという俗論は吹っ飛んだのだ。BCG説はイスラエルの疫学研究で否定的である。人種差の観点では、米国の東アジア人の罹患率がことさら低いこともない。これは大腸がんの罹患率で議論されたように人種差ではなく生活習慣差である有力な説明である。マスクの効用が最近改めて議論されているが、集団免疫説を取ったスウェーデン以外は第一波以降どこも取り組んだはずだし、簡単に取り組める方法でもある。しかし欧米の蔓延の状態を見るにつけ、おそらくもっと根源的な生活習慣の差が潜んでいるのではないかと思われる。私はそれは非土足文化、すなわち家の中では靴を脱ぐ生活習慣ではないかと思う。人はどこで感染が成立しているのか。外での接触なのか、それ以外なのか。ウイルスに汚染された唾液やミストは最終的に道路や床に落ちる。それを靴底が拾う。そして土足文化であれば、その状態のまま無防備な家庭内に持ち込むことになる。これが感染蔓延の大きな流れではないだろうか。わが国は非土足文化であるので玄関で靴を脱ぐが、これがこの外からの持ち込みルートをブロックしていると考えると感染率の低さを説明できる可能性がある。そしてこの習慣はわが国だけではなく東アジアの文化圏ではほぼ共通のものである。わが国におけるいわゆる接待つき飲食業、つまりキャバクラやホストクラブでの感染率の高さは、その接触性の高さの問題とともに、土足のままの状態であることも理由の一つではないかと思われる。外で付着したウイルスの家庭環境への持込が靴であるという推定をすれば、東アジアと欧米の感染率の差が説明できるように思われる。そして非土足分化に転換することが欧米の感染率を低下させることができるのではないだろうか。